314.早朝

頬をピタピタと叩かれて、トキオは目を覚ました。
寝足りない気がして時計を見ると、まだ6時だ。
「そろそろ仕度をしたまえ」
ベッドに腰掛けてそう言ったティーカップは、いつでも出かけられるような服装だ。
「…え?」
トキオはまだ半ば寝ぼけている。
「6時半の便に乗るぞ」
「…えー…」
「眠いなら馬車の中で眠ればいい、どうせ長い間乗るんだ!」
ティーカップはベッドを降りて姿勢良く立つと、両腰に手をあて、トキオを見下ろした。
-テンション高ぇ…
トキオは目を擦りながら、のろのろと体を起こした。
「馬車の停留所まで10分として、君の準備は10分で充分だな?まあ5分ぐらいは余計にかかっても構わないが、それ以上は待たないぞ。早くしたまえ」
ティーカップはテーブル脇の椅子にかけてあったマントを羽織り、椅子にどかりと腰を下ろした。
-…もしかして、すげえ楽しみにしてんのかなぁ…
トキオはボサつく頭を掻いて大きく伸びをすると、ベッドを降りた。
*
ティーカップにせっつかれながらトキオが準備を終え、2人が停留所に着くと、すぐに馬車が到着した。

そんなに大きくない。中に10人乗れるかどうかといったところだ。馬も、車輪も、幌も、その他の部分も全てが黒で統一されている。
幌の中は平坦で座席などはなく、板の床に薄い絨毯状のマットが敷かれていた。長時間揺られるのは少し辛そうだ。
トキオはザックからクッションを取り出して2つ並べると、ティーカップと一緒に腰を下ろした。
「少し冷えるな」
ティーカップが言うと、トキオは薄手のブランケットも取り出した。
「これでいけるかな」
トキオは右手でティーカップの肩を抱き寄せ、2人の背中をまとめて包むようにブランケットをかぶり、胸の前で閉じた。

2人が乗ってから10分前後で、馬車が走り出した。
他に乗客はいない。車輪の音も、思ったより小さい。
-…あの話、してみるかなあ。…でもな…
ビアスに言われたことを詳しく聞きたいのだが、いきなり変な空気になりそうで、少し怖い。
だからといって、気になっていることを置いておいて、空々しく他の話を振るのも難しい。

-…うし。どうせそのうち聞かなきゃいけねえんだ。
トキオは思い切って、話を切り出すことにした。
「昨日な、偶然ビアスと会ったんで、ちょっと話したんだけど」
「…何を話したんだ」
ティーカップは片眉を上げ、胡散臭いものを見るような横目になった。
「お前のこと」
トキオはティーカップを見た。
「何だか知らないが、ビアスの言うことはいちいち気にするな」
投げやりなトーンで言われて、トキオは一瞬口をつぐんだが、またすぐに口を開いた。
「…うん。でも内容がさ、お前のことなんで、やっぱ確認しときたいっつうかさ」
ティーカップは小さく溜息をついた。
「何を言われたんだ」
トキオは深呼吸して、視線を落とした。
「お前がさ、俺と付き合いだしてから、かなりストレス溜めてるって」
「…」
ティーカップは顎を上げ、また溜息をついた。

「俺、どんなことがお前のストレスになんのか、よくわかんねえんだ。知らねえうちに気分悪くさせてるとか、そんなん嫌なんだよ。まずい部分あるなら、はっきり言ってくれ。頼む」
真剣に言いながら、少し動悸が強くなっているのを感じて、トキオはブランケットの中で胸に手を当てた。
「…」
ティーカップはしばらく考えて、
「…そうだな…」
目を閉じた。トキオは神妙な顔で続きを待っている。
ティーカップは長い間押し黙っていたが、眉を寄せて苦い表情で話し始めた。

「例えば、…こうやって、2人分のクッションとブランケットを用意してきたり」
ティーカップはブランケットを口元まで持ち上げた。
「…雨の日に備えてシートに手を加えたり、傍目を気にせず僕を背負ったり、頼んでもいないのに服を作ったり、欲しがってもいないのに指輪をくれたり、…君のおせっかいは数えだすときりがないが」
ティーカップは、そこでひと息ついてから、ぼそりと言った。
「…そういうことをされるのは、困る」
「困る…?」
「イライラするんだ」
押し殺すように低く言い捨てられて、トキオは思わず俯いた。ティーカップのこんな声を聞いたのは初めてだ。
あまり深く考えずに取った行動ばかりだが、ティーカップにとっては、どれも余計なお世話でしかなかったらしい。
「…、ごめん…な…」
ティーカップは謝るトキオの方をちらりとも見ない。
「…」
トキオは膝を抱えて、更に俯いた。

Back Back(番外) Next
entrance