158.思案

「戻っていただけますな」
頭領の要求は簡潔だ。

イチジョウは深呼吸すると、目を伏せて言った。
「今、この国の迷宮にある試練に挑戦している所だ。終わるまで待て」
「…」
しばしの沈黙の後、頭領は口を開いた。
「…3ヶ月(みつき)以上は待てませぬぞ」
「わかった」
イチジョウが答えると、頭領は片手を挙げた。
2人を遠巻きに取り囲んでいた気配が、ひとつふたつと消えてゆく。

「ゆめゆめ、逃げようなどとは思われますな」
頭領の言葉に、イチジョウはまた苦笑いしながら首を振った。
「命は大切にする主義だ」
「結構」
そう言った頭領は、まばたきする間に眼前から消えていた。

イチジョウは階段に座ったまま、全身で長い溜息をついた。
もちろん、帰るつもりなど毛頭ない。
一旦屋敷に戻れば、二度と逃げられぬよう、朝から晩まで見えない赤装束に囲まれ、軟禁状態になるのがオチである。
-梗花の親父殿か、梗花自身か。
誰が差し向けたのかわからないが…こうしてみると1人で追ってきたヤズエなどは、可愛いものだ。

-3ヶ月のうちに、どうにかして打開策を考えないとな…。

いっそ、ワードナを倒した後魔除けを献上して、親衛隊に入ってしまおうか?
城内の寮で暮らせば、彼らも簡単に手出しは出来ないのではないか。
-しかし…
少しでも油断すれば、あっという間に攫われてしまうだろう。
何より、ササハラとの約束が果たせない。
-まずは彼に話してみるか。
今度は短く息を吐いて、イチジョウは腰を上げた。
*
「なんだ、どうしたんだよ。また忘れもんか?」
咥え煙草のキャドは、二日続けて部屋を訪れたベルを笑顔で迎え入れた。
「指輪落とした」
そっけなく言ってからベッドルームへ足を向けようとして、ブルーベルは立ち止まった。
数人の男の笑い声と、1人の男の泣き喚くような声が聞こえてきたからだ。

「そっちはパーティの真っ最中だ。入るとディナ~にされるぜ」
少しおどけて言いながら、キャドはソファに腰かけた。
「またかよ。よく飽きないな」
「俺は部屋を貸してるだけだ」
「同じだろ」
ブルーベルは冷めた目でキャドを一瞥した。
「今日は随分重装備だな」
冷ややかな視線を簡単に受け流したキャドは、上から下まで黒ずくめのベルを観察して言った。
「おかげさまで」
「あん?…あぁ、キスマーク隠してんのか。悪かったな。呪文で消しちまえば良かったのに」
「こんなことに呪文を無駄遣いしたくない」
「お前らしいな」
キャドは軽く笑った。
「でも、お前の男は寛容なんじゃあなかったか?」
「もちろん彼はこの程度のことで何か言ったりしないよ。だからって、見せびらかす趣味はないんでね」
「なぁるほど」
煙を吐いたキャドの口元が、シニカルに歪む。

「やってんのは親衛隊の連中か?」
声が漏れ続けているベッドルームに目をやって、ブルーベルが言った。
「ああ」
「色ボケばっかりなんだな」
「ひでえな。それを言うなら"英雄、色を好む"ってイイ言葉があるだろ?」
キャドは短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「…あれ、いつ終わるんだ」
ベッドルームを指して、ブルーベルが苛立ち混じりの声を出す。
「さあ…始まったばっかりだ。人数も多いし、朝まで続くかもな」
キャドは涼しい顔をしている。

ブルーベルは壁の時計を見上げると、眉間に皺を寄せ、大きく舌打ちしてからベッドルームへ入って行った。

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