359.選択
「9時かー」ベッドに転がっていたクロックハンドは、枕元の時計を眺めて呟いた。
いつも7時半までには部屋に来るミカヅキが、まだ来ない。
探索が長引いているだけかも知れないし、他の友人達と話しこんでいるのかも知れない。あるいは、単に自室で過ごしているだけなのかも知れない。
理由はいくらでも思いつくのだが、話したいことがある時に来ないという状況が、あの時に似ていて気持ち悪い。
-あいつの部屋どこなんか、聞いてなかったなあ。酒場の方行ってみるか。
クロックハンドはベッドから降り、手近にあったシャツに腕を通した。
時間に関係なく混み合っている広い店内を、入り口から軽く見回す。
常に人が歩き回っていて、出入りする人数も多い。
背が飛び抜けて大きいわけでもなく、服装も地味めなミカヅキを、ここから見つけるのは難しそうだ。
クロックハンドは店に入って、壁際のテーブルからまわってみることにした。
伝言板の前に固まっている人ごみを横目に、店の中央まで進んだところで、ミカヅキの姿が目に入った。
一番奥のテーブルで、隣に座っている友人らしき男と頭をつき合わせ、時折笑いながら何事か熱心に話している。
クロックハンドは軽く安堵の溜息をつくと、テーブルに近付いた。
肩に軽く手を置いて、声をかける。
「ミカヅキ」
「わっ!!」
ミカヅキは大きな声を出した。
「驚きすぎやろ」
「いや、あれ?」
ミカヅキは慌てて眼鏡をかけると、壁の大きな時計を見た。
「こんな時間だったのか」
「今日はもう、部屋には来んのか?」
「あっ…、うん。また潜るんだ」
「今からかいな」
「うん」
「そうかー」
クロックハンドは頷いてから、続けた。
「明日っから、夜は俺と一緒に潜らへんか?」
「え!?」
ミカヅキは驚きと困惑をないまぜにしたような顔で、クロックハンドを見上げた。
「無理にとは言わんけど」
「…え、…と、」
ミカヅキは落ち着きなく言葉を探している。例の眼鏡をかけている時にしては、珍しい態度だ。
隣に座っている男がニヤニヤと笑いながら、横目でミカヅキを見ている。
どこかで会ったことがあるな、と感じて、
-あぁ、ミカヅキが灰んなった時、持ってきた侍やないか。
クロックハンドはその男を思い出した。
-もっと締まりのある顔してたような気ぃするけどなあ。状況が状況やったからか。
「…夜は当分、別のパーティと、潜るつもりなんだ」
ミカヅキは、絞り出すような声で言った。
「そうか」
クロックハンドはさらりと頷いた。
「夜潜るっちゅうことは、部屋にも来んようになるんやな?」
「うん…」
「わかった、ほな。死なんようにな」
クロックハンドは軽く手を振って、テーブルから離れた。
伝言板の前まで来た時にちらりと振り返ると、隣の侍がミカヅキの頭を抱いて、髪を撫でていた。
-あいつと潜るんやろな。
クロックハンドは来た道を戻りながら、ミカヅキと侍、二人の関係を想像した。
-あれはもう、付き合っとるかな?
隣の侍は、クロックハンドの誘いにミカヅキがどう答えるのか、試すような顔つきで眺めていた。
-あっち選んだもんなあ。
以前のミカヅキなら、どんな先約があろうと、クロックハンドと一緒に潜ると即答しただろう。
さっきの選択は、ミカヅキにとって、はっきりと気持ちを切り替えるいい機会になったのかも知れない。
-恋人になれんでも、俺の側におれるだけでええみたいなこと言うてたけど、んなわけあらへんわな。
クロックハンドは、口の端で小さく笑った。
-他にええ相手おったら、そっち行くんが当たり前や。
あの眼鏡やゴーグルをずっと着けているうちに、執着が薄れたのだろうか。
-あいつ、やっと普通になったんやな。
今までが極端すぎたのだ。
-せやけど、夜がヒマになるなあ。
夜、部屋で"まともな"ミカヅキと話し込むのは楽しかった。
恋人が出来たとなれば、今までのように長い時間を一緒に過ごすことは出来ないだろう。
-夜のパーティも、行く理由あらへんし。
元々、ミカヅキと一緒なら面白いかも、と思っただけだ。一人で潜る気はない。
-新しい出会いがあるかも知れんけど。
そう考えて、クロックハンドは首を捻った。
-恋人より、友達が欲しいんよなあ。
好きだの恋だのという重めの感情を絡めずに、毎日眠くなるまで笑いながらだらだらと話せるような、気楽な相手が欲しいのだ。
-でも結局、そいつに恋人出来たら、また友達探しになるわなー。
恋人を差し置いて、友人と寝るまで話し込むような人物がいるとは思えない。
クロックハンドは両の親指をポケットに突っ込んだ。
-恋人はええから友達欲しいっちゅう、同じような奴、おらんかなあ。
溜息をついて顔を上げると、頬に冷たいものが当たった。
指で拭うと、ぽたぽたと続けて頭に大きな粒が落ちてきた。
「あ~もう、やっとれんな!」
クロックハンドは、降りはじめた雨の中を走り出した。