358.仕方ない

ロイヤルスイートに招き入れられ、椅子に座ったヒメマルは、ぐるりと室内を見回した。
-ベルが喜びそうだなあ…
何種類かの楽器と、何に使うのかわからない色々なものが、あちこちに転がっている。

「これを」
奥の部屋から出てきたヘスは、リュートをヒメマルに渡した。
「わ、これリュートなの?綺麗だね~」
木の自然な色そのまま、ということが多い楽器なのだが、このリュートは全体的にほの赤く、細かい模様が描かれている。
「思い入れのある品だからね、使いこなしてもらえると嬉しい」
ヘスは片手に小さな宝石を持ち、口の中で二言三言、呟いた。
宝石を包むように暗い光の玉が現れたと思うと、瞬間的に大きく弾け、部屋の壁に染み込んだ。
「なになに?」
「壁を防音にする道具だよ。部屋で練習するなら、後でひとつ貸そう」
ヘスは箱を置いて、空いている椅子に座った。
「じゃあ、始めようか」
*
「君が余計なことを言うから、ラーニャに無駄な不安が残ったじゃないか」
パーティ解散後、二人で宿へ戻る道中、ティーカップは苦い顔でトキオに言った。
「だって、俺だったら心配になるなーと思ったからよ」
「君はそればかりだな。恋人が誰かと二人きりになる度に心配するのか?きりがないぞ」
「仕方ねえだろ」
トキオは前を向いたまま、ややケンカ腰の口調で言った。
ティーカップの片眉が上がる。

「仕方ないで済ませるのは、」
「恋人が魅力的だと!」
トキオは大き目の声を被せた。
「…心配性になるんだよ」
「…」
ティーカップがトキオの方を向く。トキオは顔ごと目を逸らす。

二人はほぼ同時に、小さな笑いで肩を揺らした。
ティーカップがふっと鼻で息を吐いて、頷く。
「なるほど。それなら仕方ないな」
「だろ」
トキオは笑って左手を伸ばし、ティーカップの右手に指を絡めた。
「つってもまぁ、俺がもっといい男になりゃ、心配は減るんだろうけどな」
「そうだな」
「頑張る」
言ったトキオの横顔を見て、ティーカップは目を細めた。
*
目の端に黒い影が入ったような気がして、咄嗟にそちらを向いた。
あの死神のような人物がいるのでは-と思ったのだが、そんな姿はどこにもない。
-疲れてるんだろうか。
酒場に残り、夜のパーティのメンバーを待っていたイチジョウは、テーブルに片肘をついて目を閉じた。
"常時見張られている。いつか逃げなければいけない。失敗はできない"
静かで継続的なストレスは、止まない耳鳴りの不愉快さに似ている。
潜っている時は忘れられるが、ふと落ち着くと頭の中にちらついて、平穏を妨げ続ける。

-逃げたり戦ったりする以外に、根本的な解決策はないもんだろうか。
何度も考えてみた。
結局、猩々を説得するしかないのだと思うが、刷り込まれたガチガチの忠誠心を解きほぐすのがどれだけ難しいことか、同じ郷で生まれ育ったイチジョウには、よくわかっている。
忠の為に死ねると、真剣に断言出来るような連中だ。
-が、
イチジョウは瞼を上げた。
-恋の為にも命を懸けるか。
ササハラやソウマの例外的な背信の動機は、それだった。

-頭領が外の人間に恋でもすれば、あるいは…
そこまで考えて、イチジョウは覆面の奥の眼光を思い出した。
-あれが任務中に、他の事に気をとられるとは思えんな。
それこそ、ブルーベルの持っていたような特別な薬か何かでも使わなければ、彼の忠が揺らぐことはないだろう。
しかし、そんな薬をうかつに飲むような油断をするわけがない。
-どうにもならんな。
イチジョウは溜息をついて、ぼんやりと酒場を眺めた。

濃い色の服の者が多い中、白いローブの僧侶が目立っている。
白衣を連想したイチジョウは、相談相手として最適な人物を思い出して、勢いよく立ち上がった。

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