356.深呼吸
地下へ向かう道すがら、横から刺さってくる視線に気付いたブルーベルは、ヒメマルの方を向いた。「何?」
「イチジョウのこと見てるなぁ~と思って」
ヒメマルが遠慮がちに言う。
「…うるさいな。気がついたばっかだから、つい見ちゃうんだよ。仕方ないだろ」
ブルーベルは、つんとそっぽを向いた。
不満と不安の混じった表情のヒメマルに、イチジョウが笑って手を振る。
「大丈夫ですよ。似てるのは所詮目だけなんですから。ね」
そう言ってイチジョウが顔を覗き込むと、
「…ん」
ブルーベルは小さく頷いて、視線を逸らした。
「やっぱだめ、だめ」
ヒメマルが二人の間に割って入るのを見て、クロックハンドとトキオ、ティーカップが笑った。
「笑い事じゃないよ~」
「恋には危機感がある方がいい」
ティーカップが言う。
「充分危機感持ってるよ~!」
「ヒメ邪魔。イチジョウが見えないだろ」
「え~」
そんなことをやっているうちに、入り口が見えてきた。
*
地下での最初の戦闘が終わると、早速トキオは宝箱に近づいた。「うっし」
指を鳴らしたトキオは、一度振り返ってティーカップに満面の笑みを見せてから、しゃがみこんだ。
「…誰か、昨日からトキオが上機嫌になってる理由を知らないか」
ティーカップが怪訝な顔で呟く。
「知らないよ~」
「わっからんなあ」
「…」
ブルーベルは黙って小首を傾げた。
「ティーが言ったことで、何か嬉しいことでもあったんじゃありませんか?」
イチジョウが言う。
「…ふむ」
ティーカップはしばらく考えてから、首を捻って、トキオに近づいた。
「トキオ君」
「んー?」
トキオは作業を続けながら応える。
「手を止めたまえ」
「大丈夫だって。これ毒針だから、話しながらでも余裕だよ」
「カルフォしたか?」
「おぉう!!」
トキオは慌てて宝箱から手を離した。
ティーカップが手早くカルフォを唱える。
「毒針だ」
「良かったー、びびった、マジ忘れてた」
肩で大きく息をつくトキオの隣に、ティーカップがしゃがみこんだ。
「何を浮かれてるんだ」
嗜めるように小声で言われ、トキオは膝を抱えて縮こまった。
「君は、落ち込んでも浮かれても集中力がなくなるな」
「…」
トキオは小さくなったまま頷いた。
「深呼吸」
言われるままに、何度か深呼吸する。
「いけるか?」
「ん」
トキオはあらためて道具を手にすると、傍にしゃがんだままのティーカップに言った。
「下がってろよ、危ねえよ」
「毒針は余裕なんだろう?」
そう言うティーカップの表情を見て、
-ビアスとおんっなじ顔しやがって…
トキオはもう一度大きな深呼吸をしてから、気を取り直して作業に入った。
「悪ないな」
宝箱の前で座り込んでいる二人の背中を眺めながら、クロックハンドがぽろりと漏らした。
「なんです?」
イチジョウが訊く。
「んー、…」
クロックハンドは少し間を置いて、軽く答えた。
「ミカヅキと一緒に潜るんも、悪ぅないかなと思てね」
その返答に、イチジョウは笑みを零した。
「なるほど」
クロックハンドは、宝箱の前にいる二人に、自身とミカヅキの姿を重ねてみたのだろう。
「楽しいかも知れませんね」
忍者二人が罠について話しながら開錠する絵は、イチジョウにも簡単に想像出来た。
クロックハンドがこんなことを言い出すのだから、関係は以前よりよほど良好になっているに違いない。
ふと、ミカヅキを心配していたササハラの顔が心をよぎって、イチジョウは静かに息を吐いた。