355.目だけ

「ん、イチジョウとベルは?」
朝10時ちょうどのテーブルに、二人がいないのは珍しい。トキオは席につきながら、ヒメマルに訊いた。
「二人っきりで内緒の話があるんだって」
ヒメマルはわざとらしく拗ねてみせ、テーブルから離れた壁際にいる二人の方へ視線を向けた。
「なんやろねー」
クロックハンドが興味深そうに眺めている。
「君からイチジョウに乗り換えるつもりじゃないか」
ティーカップに言われて、
「それはない、…は、っずー…だよ?」
ヒメマルはそう言いながらも少し慌てて、二人を見なおした。


イチジョウをじっと見つめていたブルーベルは、止めていた息を細く吐いた。
「?」
イチジョウは、曖昧な笑みを浮かべて首を傾げる。
普段から、ブルーベルと一対一で会話をすることは少ない。
はにかんだような表情のブルーベルに何を告げられるのか、想像もつかない。
「ちょっと、じっとしてて」
「はい」
イチジョウが応えると、ブルーベルは右手でイチジョウの額を、左手で鼻から下を隠すようにして、イチジョウの目だけを見た。

「ぁあぁ」
気の抜けるような声を出して、ブルーベルは両手を下ろし、自分の顔を覆った。
「な、?? なんです?」
「やっぱりだ、もうー…」
小さく呟くと、
「戻ろ。ありがと」
ブルーベルは顔から手を離し、俯き加減で、すたすたとテーブルに向かいはじめた。イチジョウも、よくわからないままに、とりあえず戻る。

遠くから見ている者にも、二人の間でどういう会話があったのかを想像するのは難しかった。
二人がテーブルについた後、ティーカップは皆の気持ちを代表するように、隣に座ったブルーベルの耳元に口を寄せた。
「どうしたんだ?」
柔らかく訊かれ、ブルーベルは困ったような上目遣いでティーカップを見てから、何事かを長めに囁いて返した。
「…そうか?」
ティーカップがイチジョウを見る。
イチジョウはきょとんとティーカップを見つめ返す。
ブルーベルがまたティーカップに囁いた。
「ふむ」
ティーカップは身を乗り出し、ブルーベルがやったように、掌で額と鼻から下を隠してイチジョウの目を見た。
「ぁあ。うん、そうかも知れないな」
納得したように言うと、ティーカップは手を下ろして座りなおした。ブルーベルが頷く。

「すみません。ものすごく気になるんで、何の話をしてるのか教えてください」
我慢しきれなくなったイチジョウが言った。クロックハンド、トキオ、ヒメマルが皆でやたらに頷く。
「だそうだぞ、ラーニャ」
「…別に、そんな、大したことじゃないんだけど」
ブルーベルは照れを隠すように唇を尖らせた。
「イチジョウの、目だけが、俺の父さ…父親にすごく似てるっていう、だけ」
「またか」
反射的にこぼれたイチジョウの呟きに、
「またて何」
クロックハンドがつっこむ。
「いえ、別に」
イチジョウは素早く笑顔を返した。

「ベルは、父さんがヒューマンだっけ?」
トキオが訊くと、ブルーベルは首を振った。
「ヒューマンなのは母親」
「てことは、イチジョウがエルフに似てるのか」
トキオは、まじまじとイチジョウを観察した。
「他の部分や骨格なんかは、まるで似てないぞ。本当に目だけだ」
ティーカップが左手を横向きに上げ、中指と人差し指の間を空けて、イチジョウの目を見る。
「僕もラーニャの父上の顔をじっくり眺めたことがあるわけじゃないが、目の色は同じだし、確かにこういう一重だった」
「そっくりですよ」
ブルーベルが小さく言う。
「お父さんか~なるほどね~」
安心したヒメマルが朗らかな笑顔になると、
「何を油断してるんだ。ラーニャは父上が大好きなんだぞ」
ティーカップがぴしりと言った。
「そうなの!?」
頬を少し染め、唇を尖らせたままで、ブルーベルはこくりと頷いた。

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