353.詩歌

「お帰りい!」
部屋の椅子に座ってビールを飲んでいたトキオは、戻ってきたティーカップに満面の笑顔を向けた。
「ただいま」
未だに上機嫌なトキオを見て、小さく肩を竦めてから、ティーカップはバスルームへ向かった。

ティーカップを見送ったトキオは、座ったままで足先をパタパタと動かした。
ベルと話してからもう随分経つのに、落ち着かない。
ティーカップが自分の身を心配してくれているということが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
-あー。んー…、なんだろなー。すっげえムズムズする。
性欲とは別種の高揚感で、どう処理していいのかわからない。
ビールに口をつけながら、そわそわと無駄な時間を過ごしているうちに、ティーカップがバスルームから出てきた。

ティーカップは両手でタオルごしに頭を揉むようにして、髪を乾かしている。時折、耳が器用に動いてタオルを避ける。
眺めているトキオの顔が、自然と緩んだ。
視線に気付いたティーカップが、トキオをじっと見てから、首を傾げる。
「なんだよ」
トキオは笑顔のまま唇を尖らせて立ち上がり、ティーカップの側へ寄った。
「何をニヤニヤしているんだろう、と思っただけだ」
「お前の耳って可愛いなー、と思っただけだよ」
トキオの即答に眉を上げて、ティーカップは止めていた手を動かし始めた。

「今日飲んできたエルフとは、結構仲いいのか?」
トキオが訊く。
「気は合うな」
答えるティーカップの顔には、笑みが浮かんでいる。いい友人のようだ。
「…お前のこと、好きだったりしない?」
「それはない」
「なんで断言出来るんだよ」
「彼には恋人がいる」
「ぇあ、そうなのか」
頷いて、ティーカップはタオルを取り替えた。
「君が道端であんなことをするから、ヒューマンは情熱的で羨ましいだのなんだのと、さんざん言われたぞ」
「ぁー」
トキオは赤くなって、肩を縮めた。
「んじゃ、あのエルフの恋人はヒューマンじゃないんだな」
「ああ、相手もエルフだ」
トキオは、エルフのカップルを想像してみた。
「…エルフ同士って、あんま、ベタベタいちゃついたりしなさそうだもんな」
「皆がそうというわけでもないんだがね。直接的な愛情表現をするよりも、手紙や詩歌で想いを綴って贈る方が好きだ、というエルフは多いな」
「…」
トキオは目を泳がせた。
「…もしかして、抱きついたりされんの、嫌?」
「そんなことはない」
トキオはほっとした。
「ただし、道端ではほどほどにしてくれたまえ」
「ぁ、はい」
トキオは頭を掻いた。

髪を乾かし終えたティーカップは、貯蔵庫からワインを取り出して、テーブルについた。
トキオも、飲みかけのビールの前に座りなおす。
「ラブレターはまだわかんだけど、詩とか歌って、照れ臭くないか?」
姉の恋人が"彼女のために歌を作りました"と言って、自作の歌を披露した時のことを思い出す。
歌もリュートも上手かったし、詞もなかなかのものだったが、それでもトキオは照れ臭くてたまらなかったのだ。
「それは君が慣れてないからだろう。日常的に詩歌をやりとりする文化で育った者にとっては、なんということはないよ」
「あぁあ、そっか。そうなんだろなあ。」
トキオは納得して、何度も深く頷いた。
「お前も、詩とか書いたことあんの?」
「女性にならあるな」
「女と付き合ったことあんのか」
ティーカップが笑う。
「主に母や姉、家族ぐるみの付き合いがある家のお嬢さん方にだよ」
「はー…」
感心と驚きをないまぜにしたような声を出して、トキオは小さく口を開けたまま、しばらく固まっていた。
本当に、生まれ育った環境がまるで違う。
母や姉妹に詩を書いて贈るということ自体が、まず有り得ない。多分、トキオがそんなことをしたら、家族全員に熱を測られる。

「どうした?」
「あ、いや、俺んちはそういう習慣全然ないなーと思って」
トキオは気を取り直して、質問した。
「男には書かねえの?」
「相手によりけりだな」
「っていうと?」
「眺めていて、自然と言葉が浮かんでくるような相手なら書ける、ということだよ」
「…俺は?」
トキオは控えめに、自身の顔を指差した。
「…」
ティーカップはトキオの顔をしばらく眺めてから、
「ぷふっ」
と吹き出した。
「なんだよー!」
「いや、僕には君を詩にする感性と語彙がないようだ、才能がなくて申し訳ない」
ティーカップは笑いを堪えながら立ち上がり、ベッドルームへ逃げた。

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