352.5.獣(2)
「うゎっぷ」大きな狼の舌が、頬の涙をべろりと舐めた。
「やぁめろよそれは」
キャドは舐められた頬を擦った。
狼は、疑問を乗せるような目で、小さく首を傾げている。
「あん?ああ、ちぃと感動しちまっただけだよ。気にすんな」
キャドが涙の理由を説明すると、狼はキャドの袖を咥えて、くいっと引いた。
「ん?」
口を離すと、狼はくるりと後ろを向いて、寝室に向かって歩き始めた。
「ついてこいってかい?」
キャドは立ち上がって、狼の後に続いた。
狼は大きめのベッドの上に軽やかに登り、そこで身体を伏せた。
「おいおい、一緒に寝ろってんじゃないだろうな」
キャドはベッドの前に立ち、両腰に手を当てて苦笑した。
狼が首を伸ばし、シャツの裾を咥えて引っ張る。
「よーせよ、獣姦の趣味はねえっての」
狼は裾を咥えたまま、不満そうな目つきになった。
「なんもしねぇにしたって、安眠出来ねえだろうが。俺ゃまだあんたの側にいると、こんなに…」
袖をまくって、キャドは驚いた。鳥肌がすっかり治まっている。
「…あれ?…、っと!」
咥えられたシャツの裾を、ぐっと強く引かれて、キャドはベッドに手をついた。
「バッカ、服が傷むだろ」
狼の鼻面を握って言うと、キャドはベッドに腰をかけた。
「…こりゃ、どうなってんだ?」
先ほどまでザラザラに泡立っていた首筋に手を当ててみたが、やはり鳥肌は治まっていた。
「?…まぁ、悪いこっちゃねぇんだろうが…おい」
狼が、キャドのズボンのベルトを齧っている。
「やめろやめろ!歯型がついたらどうすんだ、安物じゃねぇんだぞ!」
身を捩って逃げると、狼はキャドの足元をじっと見つめた。
「…ちょ、これ噛んだりすんなよ、これだけはナシだぞ」
キャドはお気に入りのブーツを手でかばった。狼はじりじりと近付いてくる。
「わかったよ、寝んのか?寝りゃいいのか?」
キャドが慌ててブーツの紐をほどき始めると、狼は満足したように、その場に伏せた。
「とんだ脅迫だな」
キャドはぶつぶつと呟きながら、脱いだブーツをベッドの脇に揃えた。
「そのカッコで襲ってきたりすんなよ。シャレになんねぇからな」
ベルトに手をかけて、
「ヒトに戻ったら襲っていいって意味じゃねぇからな」
キャドは付け足した。
「あんた今『チッ』て顔したろ、わかったぞ!?」
そんなやりとりをしながら服を全て脱ぐと、キャドはベッドに転がった。
狼がすぐ横に来て、身体を伏せる。
「毛がくすぐってぇな」
キャドは笑って、掌を天井に向け、腕を伸ばした。
「…どういうことなのかねぇ」
鳥肌は治まったままで、いつも体の内からじわじわと染み出ていた悪寒も、今は感じない。
「…わかんねぇな…」
キャドは狼の鼻筋に触れた。撫でると、気持ち良さそうに目を閉じる。
「…あんた、ほんとにロイドかよ?全然関係ねぇ狼じゃねえだろうな?」
そう言うと、鼻を上げた狼に、掌をべろべろと舐められた。
「うっひゃひゃ、わぁかったよ」
キャドは腕を引いて、狼の頭をわしわしと掻いた。
「フッサフサして気持ち良さそうだな」
キャドは寝転んだままにじり寄って、狼に抱きついた。
「あー、こりゃあ」
長い毛に鼻をうずめて、
「ケモノくっせぇ」
キャドは笑い出した。
「感触はいいのにな」
背や肩を撫でてから、キャドは足元のブランケットを引っ張り上げた。
「んじゃ寝るかね。マジで、おかしなことすんなよ?そのナリでなんかやらかしたら、本気で怒るぞ」
狼は、クン、と子犬のような声をたてた。
「おやすみ」
狼の額を撫でて、キャドは目を閉じた。