350.どかん

パーティが解散してからすぐ、宿に戻って軽装に着替えたヒメマルは、酒場に近い大通りに並ぶ店を眺めながら、ぶらぶら歩いていた。
ブルーベルを迎えに行くまでの間は、どうしても手持ち無沙汰になる。
-このへんのお店は、ほとんど見ちゃったんだよね~。
手近な服飾や宝飾品の店は、もう隅々まで見て回ってしまった。
-何か始めたいとは思うけど、研究っぽいことは興味ないしなあ~。
ブルーベルが入り浸りそうな本屋や、魔術関連の店もあるのだが、ヒメマルは入ろうとも思わない。

歩き続けるうちに、酒屋や食料品店が増えてきた。
-食べ物でも買って帰ろっかな…、あ。
酒屋から、キャドが出てきた。酒瓶入りと思われる大きめの袋を、片手に持っている。
キャドはヒメマルには気付かずに、軽い足取りで去っていった。
-ロイドさんと、うまくいってるのかな~?
余計なことを考えながら、果物の香りが漂っている小さな店に足を止めた。

「らっしゃーい」
二十代後半ぐらいの気の良さそうな女性が、奥から出てきた。女性はヒメマルを見るなり、
「あーっ、お祭りの時、リュート弾いてたでしょお」
大きな声で言った。
「弾いてましたよ~!」
ヒメマルが笑顔で返す。
「いい声でぇ、上手かったよねえ」
「いやあ~」
ヒメマルは笑って頭を掻く。

「歌、上手いの?」
先に店の中にいた人物が、レモンを片手に、側に歩いて来た。
-わぁ、綺麗なひとだなぁ~。
緩やかに波打つ長髪に、長い睫毛、線が細くて柔らかい雰囲気のエルフだ。
「甘い声でねえ」
果物を並べながら、女性が言う。
ヒメマルの目の前まで来ると、穏やかだったエルフの表情が、急に険しくなった。
-あれ?女の人かな?男の人かな?
どれだけ華奢で美しいエルフでも、よく見れば男女の違いはわかるものだ。この人物は、どちらにも見える。
ヒメマルは不思議な気分で、自分を睨むように見つめているエルフを眺めた。
「えっと、俺に、何か…?」
ヒメマルが言うと、エルフは表情を少しだけ緩め、ふっと首を傾げて、
「君は、ヒメマル?」
呟くように問いかけた。
*
日が落ちても、宿と酒場を結ぶ道の人通りは多い。中央をざくざく歩いていると、
「ティーカップー!」
後ろから大声で呼ばれた。トキオの声だな、と思うともなしに思いながら振り向いた途端にどかんと抱き着かれて、ティーカップは軽くよろめいた。
「なんなんだ、どうした」
「んーー」
しばらくの間、トキオはティーカップをがっちりと抱きすくめていたが、
「なんでもねーんだけど、へへ」
やっと体を離して嬉しそうに笑った。
「潜るんじゃなかったのか」
「ん、やっぱやめといた」
「賢明だ」
「…」
トキオは笑みを堪えるような顔でティーカップを見て、またいきなり抱き着いた。

「さっきからなんなんだ君は!?」
「んーん、なんでもねー」
トキオはティーカップに頬擦りし、続けて頬にキスをして、
「部屋戻るんだろ、一緒に帰ろうぜ」
ティーカップの手を取った。
「いや、」
ティーカップは空いている左の掌で、道の端に設けられているベンチを指した。
「僕はこれから、友人と飲みに行くんだが」
見れば、ベンチには知らないエルフが座っていて、こちらを眺めている。トキオと目が合うと、エルフは笑いを浮かべて会釈した。
「…そ、そか」
周囲を見回し、ここが往来だということを今更思い出して、トキオはどっと赤くなった。

「…えっと、帰り、遅くなるか?」
「9時は過ぎないと思うが」
「わかった、…んじゃ、先帰るな」
トキオは頷いて手をほどき、ベンチのエルフに軽く一礼してから、そそくさとその場を離れた。

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