337.リハーサル

店を離れた後は再び潜りなおし、夕方まで探索してから、パーティは解散した。

「…んー?」
自室のドアの前に立っている男がミカヅキだとわかるのに、数秒かかった。
髪型はぴっちりとオールバックに撫で付け、眼鏡をかけて、見慣れない上品な服を着ている。
「それ…、もう買ってきたんか?」
言いながらクロックハンドは、ミカヅキに早足で歩み寄った。
「うん。どうだろう」
ミカヅキは両手を広げて、服をクロックハンドに見せた。黒を基調にした、若年執事風のシックなデザインだ。
「そうやなぁ、」
全体を見るために、数歩後ろに下がったクロックハンドが、
「よう似合っとる」
率直な感想を述べると、ミカヅキは本当に嬉しそうな笑顔を見せた。
「とりあえず、中入ろか」
クロックハンドは部屋の鍵を取り出した。

「オーダーメイドやないわな?」
クロックハンドが服を脱ぎ散らしながら言う。ミカヅキはドアの近くに立ったままだ。
「うん、店にあったのがぴったりだったから、買って来た」
「このへんに、そんな服売っとる店あるんやなあ」
「城向こうの、かなり遠い所まで行ってきたよ」
「そうかー。せやけど、もうちょっと派手なんでも良かったん違うか?」
素っ裸になったクロックハンドは、改めてミカヅキを眺めた。全体的に装飾が抑え目だ。
「これぐらいの方が、従者らしくていいと思うんだ」
ミカヅキは、クロックハンドの首から上だけを見るようにしながら言った。
「従者て」
「フィリップが主人で」
ミカヅキは掌でクロックハンドを指してから、その手を返して、親指で自分を指した。
「俺が従者か秘書のような立場に見えれば、取引相手と会うのについて行っても、そんなに不自然じゃないだろう?」
「ああ、バーネットさんと会う時か」
バーネットというのは、先日クロックハンドに何かを盛った、例の人物の名だ。
「そら、友達と一緒に行くよりは自然やろけど…。お前、こないだ友達やって名乗ったん違うたか?」
「潜る時は友人で、仕事上では立場が違うだとか、そこはどうとでも言える」
「言い訳っぽくならんかな」
「もし違和感を持たれても、こちらが相手を警戒していることが伝わって、それはそれでいいかも知れない」
「それもそうやな」
クロックハンドは頷いて、
「一応、打ち合わせみたいなことはしとこか。先シャワー浴びてくるわ」
バスルームへ向かった。


シャワーを浴び終えて、髪を乾かしたクロックハンドは、壁にかけてある商用の服一式に目をやった。
「きっちりリハーサルしといた方がええかな」
「うん」
クロックハンドは服に手を伸ばし、ズボンに足を通しはじめた。
「俺の名前は本名でやっとるし、お前も本名で呼んでええか」
「うん、その方が自然だと思う」
「クエイド」
不意に本名をきっちりと呼ばれて、ミカヅキはどきりとした。
「クエイド君、の方がええか。あぁでも、苗字の方がええかな…苗字やわな」
独り言のように呟きながら、クロックハンドはブラウスに袖を通した。
「苗字はバックやったな。バック、君。バック君かな」
ボタンを留め終えて、ベルトを締めると、クロックハンドは鏡の前に移動した。
側にあった櫛でサッサッと前髪を分けたクロックハンドは、鏡に向かって百面相を始めた。

「いつも、仕事の前にはそういうことをしてるのか?」
ミカヅキが感心したように言うと、
「そや。うっかりしたら素が出るからな。顔と言葉は、しっかり作ってから行くねん。喋りも練習するから、どんどん話しかけてくれ」
クロックハンドは鏡を見たまま答えた。
「後でいっぺん外にも出てみた方がええやろな」
「うん。俺も、敬語を練習した方がいいな」
ミカヅキが言う。
「それでは一緒に練習しましょう、バック君」
そう答えてから、
「イチジョウみたいやな」
クロックハンドは小さく呟いた。

ミカヅキは、ひとつ咳払いしてから口を開いた。
「質問がございます。お聞きして宜しいでしょうか」
「どうぞ」
「私の方からは、貴方様をどうお呼びすれば良いのでしょうか」
「そうですね。雇い主と従者、という立場であるとすれば、『リッテル様』が妥当かと思いますが」
「それでは、そうお呼びいたします」
「…あかん」
「は、他に候補がございますか」
「ちゃう、笑けてきた」
クロックハンドの笑いにつられて、ミカヅキも吹き出した。

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