331.説教
「っと」テーブルまであと数歩というところで、ダブルはズボンのベルトに引っかかりを感じて立ち止まった。
振り向くと、ベルトを掴んでいるのは別のテーブルに座ったミカヅキだった。
「まだ早い」
ミカヅキは、ダブルに向かって諌めるように首を振った。
「任せるわ」
ダブルは笑って頷くと、自分のテーブルに戻って行った。
*
「わかってたのに、どうしてもっと警戒しなかったんだ!!」ミカヅキに強く言われて、ベッドの上に座ったクロックハンドは眉を寄せ、唇を尖らせてぼりぼりと背中を掻いた。
「警戒はしとったわな、まさかいきなり睡眠薬とか、そないベタな方法使うと思わへんからやなー」
例の取引相手の食事に付き合っていたはずなのに、目が覚めると自室で、パジャマを着てベッドに寝ていた。
険しい顔で見下ろしていたミカヅキに説明されて、クロックハンドはやっと状況を理解したのだ。
「それは警戒してるとは言わない!!大体、もう会わないんじゃなかったのか」
「帰り道でいきなり会うてもうて、咄嗟に断り文句出てこんかったんや」
「疲れてるとでも言えば良かったんだ」
「ぱっと切り返せんタイミングってあるやろー」
「そうだとしても」
「も~、わかったがな」
「わかってない!!もしあのまま連れて行かれてたら今頃どんな目に遭ってたかわからないんだぞ!あの手の卑怯な手段を使う輩は大体嗜好も倒錯していて、…」
ミカヅキの言葉が止まった。
「…お前今、その倒錯プレイ想像したやろ」
鋭くつっこまれ、赤面したミカヅキは想像を吹き飛ばすように続けた。
「っとにかく、何をするかわからないような相手なんだから、」
「わかったて、俺も失敗したと思うてんねやから、そないポンポン言うなやー」
前髪を掻きあげようと額に手をやって、クロックハンドは整髪料がまだ髪についていることに気がついた。
「風呂入ってくる」
バスルームへ向かったクロックハンドの後姿を見送って、ミカヅキは溜息をついた。
「お前、どんな風に言うて俺連れて帰って来たんや?」
シャワーを浴び終えたクロックハンドが、タオルで頭を拭きながら、素っ裸で部屋に戻ってきた。
ミカヅキは目のやり場に困り、壁にかけておいたクロックハンドの仕事服に視線を流して、
「笑顔で、丁寧に、フィリップの友人だと名乗って、宜しければ宿に帰るついでに運びますよと言って、相手が返事を選んでるうちに、フィリップを抱き取って帰った」
ゆっくりと簡潔に説明した。
「うまいうまい。そんなら問題なさそうやな」
クロックハンドは満足気に頷いた。
「結果的に上手くいっただけで、あそこではっきり断られていたら、厄介なことになってたかも知れない」
ミカヅキは厳しい顔で言う。
「やから次から気ぃつけるがな」
クロックハンドはパンツに足を通した。
「…フィリップ」
ミカヅキは服を見たまま言った。
「なんや」
「こういう服はどこで買うのか、教えて欲しい」
「これか?これは出入りの職人に注文したやつやからなあ。ええ服の仕立てを専門にやっとるような店探せば、頼めるんと違うか」
「わかった」
ミカヅキは真剣な顔で頷いた。
「この手の服、作るんか?」
「うん」
「よう見極めんと、しょぼいもん掴まされてまうぞ」
「うん、その道の専門家にちゃんと話を聞いて、予備知識を仕入れてから行く」
「せやけどこんな服、お前が作ってどうするねん」
「今日みたいなことがあった時、この手の服の方を着ている方が説得力がある」
「…」
クロックハンドは壁の服を見てから、ミカヅキを見た。
「今日みたいなことて、そうそうあらへんと思うぞ」
「いいんだ」
何か思うところがあるのか、ミカヅキは笑みを浮かべている。
「まあ、止めはせんけども」
クロックハンドはパジャマのボタンを留めながら、ふと気付いたように言った。
「あぁ、もういっぺん会わないかんな。寝てもうてすみませんて言わなあかんわ」
「その時は、ついて行く」
ミカヅキが言う。
「ん~、そうやなあ。その方がええかも知れん」
クロックハンドは頷いた。