324.変える

「あー。ラブレターだ」
ダブルは四つ折になっていた紙片を開いて中身を確かめると、イチジョウに渡した。
「見ていいんですか?」
「おうよ」
イチジョウの手にある紙片を、オスカーが興味深そうに覗き込む。
「…なるほど」
書かれている文章は、ラブレターとは程遠いものだった。

兄者へ

猩々達に疲れが出ている
この分なら無理をしなくても逃げられると思う
くれぐれも争わないで欲しい
 
イチジョウは苦笑いして、紙片を懐に収めた。
よほど心配らしい。
「むしろ」
オスカーが小さく言った。
「警戒が必要かも知れません」
「…ですね」
イチジョウも微かな声で返した。疲れが出ているなら、内輪で問題が起こる前にと、急いでこちらの身柄を確保しにくる可能性がある。
イチジョウは左手首のブレスレットをゆっくりと擦った。
*
部屋の前で待っていたミカヅキは、戻ってきたクロックハンドに見蕩れて、呆けたようになってしまった。
綺麗に撫で付けた髪、人目がなくとも油断なく柔らかさを保っている表情。父のそれと同じく一見しただけで良いものだとわかる服を、全く自然に着こなしている。
美しく、かつ気取りすぎない姿勢で歩いてきたクロックハンドは、ミカヅキを見つけると上品な笑みを見せた。

「…、ぉ、…お疲れさま」
なんとかそう言ったミカヅキに、
「お疲れ様です」
いつもと違うイントネーションで応えたクロックハンドは会釈をしてからドアを開け、
「どうぞ」
ミカヅキに向かって、手振りで部屋に入るよう促した。
思わず頭を下げてから、ミカヅキは部屋に入った。

ミカヅキは備え付けの椅子に腰掛けて、上着を脱ぐクロックハンドをぼんやりと見つめていた。
仕草も表情も、声の調子までまるで違うが、無理をしているような感はない。
-もしかすると、これがフィリップの自然な姿なんだろうか。
そんなことを考えていると、上着をハンガーにかけ終えたクロックハンドが、耳慣れない優しい声で、
「シャワーを」
と言いかけて眉をしかめ、首を捻った。
「やっぱり脱がないと駄目だな…」
小さく呟きながら、クロックハンドはブラウスも脱ぎ始めた。
-独り言のトーンまで変わるのか…
感心しているミカヅキの目の前で、クロックハンドはどんどん服を脱いでいって、あっというまに全裸になった。
「んんんんー…うしゃ!」
両手足を大きく広げて思い切り伸びをすると、クロックハンドは勢いよくミカヅキの方を振り向いた。
「シャワー浴びるぞ、お前も入れ!」

バスルームに入ったクロックハンドは、まず強いシャワーを浴びながら派手に頭を掻き回して、整髪料を落とした。
ブルブルと頭を振って水滴を飛ばすと、
「っぷあー!!」
クロックハンドは大きな声を出し、両肩を回した。
「あー、つっかれたわぁー。早よ湯ぅ浸かりたいわ、ちょっと足のけてんか」
クロックハンドは先に入っていたミカヅキの足側からバスタブに入り、向き合う形になった。
「…仕事の時は、随分雰囲気が変わるん、だな」
膝を抱えたミカヅキが言うと、
「まあ、変わるっちゅうか、変えるっちゅうかな。半端に気ぃ張るよりか、思いっきり変えた方が失敗ないしな。服と一緒に変身する感じやな」
クロックハンドは湯船で顔を洗った。

「今日、フィリップと一緒に歩いてた人が、お父さんの取引相手かな」
「うん。…」
答えてから、クロックハンドは渋い顔をした。
「何かされたのか!?」
ミカヅキが身を乗り出す。
「されてへんされてへん。でもちょっと微妙なこと言い出しよってな」
「どんなことを」
「仕事とは分けて、個人的に友人としてお付き合いをどうのこうの~とか言いはじめたんや。仕事とプライベートは分けとるっちゅうことで、やんわり断っといた」
「もう近付かない方がいい」
「そのつもりや。ややこしなったらおとんに迷惑かかるしな。…ふぃ~」
頬まで湯に浸かったクロックハンドは、すっかり弛緩して、いつもの顔に戻っている。

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