320+.コンプレックス(1)

「…やっぱ、無理なんだよ」
地下四階の冷たい石畳に腰を下ろして、キャドは首を振った。
「慣れが足りないだけだ」
キャンプ用の聖水を撒いてから、ロイドはキャドの隣に座った。
ガーゴイルだぞ。たぁかがガーゴイル相手であんな、…」
否定の手振りを加えて、キャドは溜息をついた。
*
一緒に潜ることに慣れようと、キャドとロイドは二人だけで地下に降り、少しずつ戦う敵のランクを上げながら進んできた。
一階、二階では軽口も叩けたが、熟練のサムライとは言っても、二人きりだ。
四階まで来ると、流石に戦闘に多少の緊張感が生まれ始めていた。
そんな中、五体のガーゴイルに遭遇した時、
-ちょいと真面目にやらなきゃまずいかねえ。
キャドが感じたのはその程度のプレッシャーだった。

いきなり囲まれはしたものの、さして焦ることもなく目の前の二体を斬り捨てて、背中側の一体も振り向きざまに撫で斬りに-しようとして、キャドの全身から血の気が引いた。

自分が斬ろうとしたのは、ロイドだった。

キャドの刃は咄嗟に避けたロイドの肩口を掠めるだけで済み、ロイドは残ったガーゴイルを一人で片付けた。


「…悪ぃ、…狙ったんじゃない…」
斬りつけた体勢のまま動けなくなっていたキャドは、なんとか声を出した。
今手に持っているのは持ち主を混乱させるムラマサではなく、名剣カシナートだ。明らかに、キャド自身の単純な判断ミスだった。
「わかってる」
ロイドはムラマサをひと振りして、鞘に収めた。
*
ロイドに剣を向けたこと自体は、キャドにとって大きな問題ではない。罪悪感もない。
ロイドの存在を敵の気配として認識してしまったということ-格下の怪物と戦っている時に、自分の判断力が混乱したことが、何より強いショックだった。

「ガーゴイル相手でこんなことになっちまうんじゃ、十階で戦ったらどうなるかわかったもんじゃねえ。あんたと一緒に上級の怪物相手にすんのは、絶対無理だな」
キャドは頭をばりばりと掻いて、苦い声で言い捨てた。
「そんなに結論を急ぐな。慣れれば」
「慣れたとしてだよ」
キャドは隣のロイドに顔を向けた。
「それでも可能性はゼロじゃないだろうが。厳しい相手に追い込まれたら、避けられねえような勢いで斬りつけちまうかも知れねえ」
「君に斬られるなら本望だ」
「あんたのこたどうでもいいんだよ、俺の寝覚めが悪ぃって話だ」
キャドは立ち上がって尻を払うと、座っているロイドに言った。
「上がろうぜ」
「…」
ロイドは目を伏せ、腰を上げた。


地上に戻ると、すっかり日が落ちていた。
「夕食は酒場でいいか」
ロイドが言うと、キャドは首を振った。
「帰るわ」
キャドは口の端を上げて、軽く言った。
「俺の部屋で飲まないか?」
ロイドの誘いに、
「いや、気分じゃねえ。…じゃあな」
また首を振って、キャドは宿への道を一人で歩き始めた。


柔らかい街灯の光の下で歩を進めながら、おかしな痛み方をしている胸に手を当てた。
-こりゃあ、コンプレックスだよなあ。
キャドは溜息をついた。
二人で行動して、調子が狂ったのは自分だけで、ロイドは平然としていた。
精神力、体力、戦闘力、そのどれも、自分よりロイドの方が勝っているのはよくわかっている。
わかっているのに、苛立つ。
-くそ、くっだらねえな。
ロイドの人柄を知り、それなりに好意を持つようになって、こんな感情はもうなくなったものだと思っていた。
未だに割り切れていない自分自身にも苛立つ。
舌打ちをひとつして、キャドは友人の部屋へ向かった。

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