317.面白い

「おはよーい」
朝10時半、酒場横の街灯の下-待ち合わせ場所に来たクロックハンドの声に、返事をしようと顔を上げたブルーベルは、
「あ、一緒に行くんだ」
クロックハンドの後ろにいるミカヅキに気付いて、そう言った。
「バベルがやらしいっちゅう話したら、ついて来る言うてきかんのよ」
クロックハンドはアヒル口で言った。ミカヅキは憮然としている。
「心配しなくても、クロックは誰とでも寝るタイプじゃないと思うけど?」
ブルーベルがミカヅキを見ると、ミカヅキは小さく首を振った。
「クロックにその気が無くても、どんな手を使われるかわからない。バベルは得体が知れない」
「それはそうかも」
澱みない言葉に頷いて、ブルーベルはミカヅキの表情を見た。
眼鏡をかけて普段着のミカヅキは、怜悧なビショップの顔をしている。
好きな男の為に天職を捨てて、正反対の職業に転身するような情熱を持っているようには見えない。
-夜はどんな顔するのかな。
そんなことを考えていると、
「ヒメちゃんは来ぉへんの?」
辺りを見回していたクロックハンドがブルーベルに訊いてきた。
「まだ寝てると思う。昨晩、バテるまでやったから」
「そんでベルちゃんは来れてんのかいな、タフやなあ」
クロックハンドはケラケラ笑った。
「ほな、とりあえず行こかぁ」
3人は連れ立って診療所へと歩き始めた。
*
「錬金術の本ね。あるよ。こっち…」
バベルは力のない声で言って立ち上がると、奥の部屋へと歩き始めた。
「なんや元気ないな」
後ろについて行きながら、クロックハンドが呟いた。ブルーベルも頷く。元々覇気の感じられるような人物ではなかったが、明らかに気力が抜けているのが見てとれる。
「この棚に色々あるから。好きなの持って行っていいよ」
バベルは本棚だらけの部屋に入ると、天井まで届く大きな棚を叩いた。
「ミカヅキ、肩」
クロックハンドが言いかける間に、ミカヅキがしゃがんでクロックハンドを肩車した。

一度よく見たことのある本棚の群れを軽く目で撫でたブルーベルは、部屋の真ん中のテーブルに肘をついてぼんやりしているバベルを見た。
「元気ないね」
ブルーベルが言うと、バベルは力のない溜息をついた。
「最近、じわじわ寂しくなってきてね。ロイドに振られたし。カイルも逃げちゃったし。」
「逃げたって、どういうこと」
ブルーベルはバベルの側の椅子に座った。
「ゆっくり可愛がろうと思ってたのに、遠くに逃げられちゃった」
バベルはまた溜息をついた。可愛がる、逃げるという言葉のニュアンスから何が起こったのかを連想して、ブルーベルが訊く。
「カイルに手、出したの?」
「うん」
「息子だろ?」
「別にいいかなと思って」
「いいわけないだろ。なんだ、カイルがいなくなったの、バベルのせいだったのか」
「多分ね」
バベルは更に溜息をついた。

「何冊でもええんかな~?」
肩車の上からクロックハンドが訊く。
「いいよ」
バベルが軽く返す。
「今日はタダで貸してくれるの?」
ブルーベルが言うと、ミカヅキが肩車をしたままテーブルの2人の方を見た。
「今元気ないしね。あの子は多分、ちょっとやりづらいし。可愛いんだけど」
「やりづらいって、どういう意味で?」
ブルーベルが訊く。ミカヅキは2人の会話に聞き耳を立てながら、バベルを見ている。
「目の強い子はやりづらいんだね、なんだかチクチクして」
「目が強い…」
ブルーベルが座ったまま、クロックハンドを見上げる。
「クロックのこと?」
「うん、乗ってる方の子」
ブルーベルは本を物色しているクロックハンドの横顔を眺めた。
「それって、いわゆる魔眼とか邪眼みたいなもの?」
「そう。そういう感じ」
「へえ…、ミカヅキの方がよっぽど眼光鋭く見えるけど」
ミカヅキは警戒心からか、眼鏡越しにもわかるほど鋭い、刺すような視線をずっとバベルに向けている。
「彼のは質が違うね」
「そうなんだ…。そういうのがわかるのって、いいな…」
ブルーベルが羨望を含んだ声で言う。バベルはテーブルの上のブルーベルの手に、自分の手を重ねた。
「俺と付き合えば、色々面白いこと教え」
「ベル~~~~~~、いる~~~~~?」

診療所の玄関辺りが発生源と思われる大声が、本棚のある部屋まで突き抜けてきた。
「バベルは面白そうだけど、今も面白い奴と付き合ってるから」
ブルーベルは笑って、立ち上がった。

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