303.不相応
イチジョウはノリチカの前にどかりと腰を下ろして、胡座をかいた。「何を話しに来た?」
イチジョウが訊く。オスカーがノリチカの後ろに回り、猿轡がわりの布を解いた。
「…この人たちは…」
ノリチカは背中側で待機しているオスカーと、椅子に座って自分を見ているダブルを気にしている。
「事情をよく知っている友人だ」
イチジョウは即答した。
「信用出来るのか?」
「この2人に裏切られたら、俺はもうどうなってもいい」
イチジョウは表情を崩さず、鋭い目でノリチカを見据えて、再び言った。
「何を話しに来た」
「…」
ノリチカはイチジョウの視線に耐え切れず、俯いて目を逸らした。
「あ…兄者が猩々達を攻撃するって言ってたのは、本当に、本気なのか?」
「本気だとしたらどうなんだ。早く本題に入れ」
イチジョウの声は固い。
「…何も、そんな、命のやりとりまで、しなくてもいいと思うんだ…」
ノリチカは俯いたまま、床を見て話している。
「あいつらだって、仕事だから追いかけてるだけなんだろうし…」
「以前ならともかく、今の俺には連中の事情を慮ってやるほどの優しさはない」
「兄者」
ノリチカは顔を上げた。困りきったその顔を、イチジョウは刺すように見つめる。
「何か他に、奴らを止める案でも思いついたのか?」
「…いや…、」
「なら口出しするな」
「…」
ノリチカは項垂れた。
「話はそれだけか?」
イチジョウが問うと、ノリチカは押し黙った。
沈黙が続き、イチジョウが立ち上がろうと体を浮かせると、
「悪い奴らじゃないんだ」
ノリチカが搾り出すように言った。
「あいつらみんな身寄りがなくて、引き取って育ててもらった恩があったりして、命令は絶対守るものだっていう感覚があって、そういうとこ、すごく頭固くって…でも、悪い奴らじゃないんだ」
座りなおしたイチジョウは、ノリチカに言った。
「お前は猩々と付き合いがあるのか?」
「…」
ノリチカは頷いた。イチジョウが眉を寄せる。
「帰れ」
「兄者、」
「もうお前が持っていけるような情報はない」
「俺はあいつらに何も言ってない!」
ノリチカは縛られて不自由な体を乗り出すようにして、精一杯イチジョウの方へ寄せた。
「猩々達と色々話はしてるけど、兄者の言ったことは何も伝えてない、俺もあいつらに気を許してるわけじゃない」
イチジョウは表情を動かさず、ノリチカの言うことを聞いている。
「ササハラが何も話を持ってこなくなったから、代わりに兄者に近づいてみてくれと言われたんだ、俺はあいつらに協力するフリして兄者の話を聞いてたけど、大事なことは何も伝えてない」
関を切ったように、ノリチカの口から言葉が流れ出す。
「猩々と兄者の間に入れば、何かいい解決方法が見つかるんじゃないかと思ったんだ、そしたら何も思いつかないうちに兄者があんなこと言い出して、俺、どうしたらいいかわからなくなって、兄者、掲示板に何書いても全然会ってくれないし」
ノリチカは肩を落とし、首を振った。
「殺し合いみたいなこと考えないでくれよ、そんなこと、しなくてもいいはずだよ」
子供のような顔で涙を溜めているノリチカを見て、イチジョウは溜息をついた。
「…何か他に手を考えてみる。今日はもう帰れ」
*
ドアの外に立たせてから戒めを全てほどくと、ノリチカは廊下に置いたままだった服とローブを着て、帰っていった。「殺し合いみたいなこと、というのは?」
オスカーがイチジョウに訊く。
「ノリチカには、猩々を1人ずつ殺すか、追ってこられないような体にして全滅させてやるって言っておいたんですよ。本気じゃないですけどね。ノリチカが向こうと通じていれば、何か動きがあるだろうと思って」
「んじゃあやっぱ、弟さんが向こうに何も話してないってのは本当じゃねえか?そんな話が伝わってたら、すぐに全員でお前さんを捕まえに来そうなもんだ」
ダブルが言うと、
「そうですかね…」
イチジョウは疲れた声で答えた。全てが筒抜けではないにしても、ノリチカが猩々と関わりを持っていたこと自体には落胆を感じている。
「なんか弟さん、板ばさみになっちまって可哀相だな」
「どこまで本当だかわかりませんよ。本当にしても、」
イチジョウは頬にかかった髪を苛立たしげに掻きあげた。
「分不相応なことをするのが悪いんです。元々間に入って動けるようなタイプじゃないんですよ、機転はきかないし、詰めも甘いし」
ぼやくイチジョウの横顔に兄らしい表情を見て、ダブルは口元を緩めた。