300.特技

クロックハンドと別れたトキオがひとまず宿に戻ったのは、夕方の5時半を過ぎた頃だった。
「あれ、帰ってたのか」
部屋の中にティーカップがいることに気付いて、トキオは驚きと喜びの混じった声を出した。
「今戻ったところだ」
ティーカップはリボンタイを外しながら言った。
「晩飯どうする?」
トキオが訊くと、ティーカップは少し考えてから答えた。
「食べに出るのも何か面倒だな」
「晩飯頼むか。フロント行ってくる」
「そうしてくれたまえ」
トキオはティーカップの返事を背中に受けて、部屋を出た。
*
「ちょっと少なくねえか?」
オードブルからのスープ、魚料理、ステーキ、サラダ、パン、デザート、ワイン。
コースで出てきそうなルームサービスのメニューを狭いテーブルに並べ、次々に平らげつつ、トキオが言う。
「これで足りないのは君だけだ」
「そうかー?」
トキオは首を捻った。この倍は欲しい。
「そういやネックレス、どうだった?治せるって?」
「一週間程度で治せるそうだ」
ティーカップは、ほどよい大きさに切り分けられたステーキを口にした。
「おぉ、そりゃ良かった」
トキオはフォークを置いて、少し改まった声を出した。
「…あのさ、今度の休みは、俺にくれるよな?」
「…」
ティーカップは無言でトキオを見た。
「…もしかして…もう、先になんか約束してきたのか?」
トキオが心配そうに眉を寄せ、上目遣い気味に見ると、ティーカップは口を動かして頬張っていた肉を飲み込んだ。

「食べている時に訊くな」
「あ、悪ぃ」
ティーカップはワインで口を湿らせた。
「特に約束はしてない」
「そか。んじゃ次の休みは俺とデートな。約束したぞ」
「ああ」
ティーカップは笑って頷いた。それを見て思わず頬を緩めたトキオは、
-拗ねてるヒマあったら、デートの予定考える方がよっぽどいいな。
そんなことを思って、小さく肩を竦めた。
「…あ、そうだ」
「うん?」
「ちょっと着て欲しい服あんだ。後で着てみてくれねえか?」
「君が見立ててきたのか?」
「んー、そういうもんでもねえんだけどな。とにかく着てみてくれ」
「ふむ」
ティーカップは首を傾げるようにして頷いた。
*
食事を終え、ティーカップの後にシャワーを浴びたトキオは、バスローブを羽織って頭にタオルという定番のスタイルで寝室に入った。
「着てみたかー?おぅ」
ティーカップは下半身にパジャマのズボンを履き、上半身にはトキオが今朝から昼にかけて手を加えた服を着ている。
「着心地どうだ?」
「なかなかいい。これは防具の下に着る服だな?」
「うん」
「何着か欲しいな。どこで売ってたんだ?」
ティーカップは服と一体になったコルセットの紐を締め上げながら言った。
「や、いつも使ってる防具下用の服だよ、俺がちょっといじっただけ」
「いじったというと?」
「コルセットつけてみた」
「君が?これを?」
ティーカップはまじまじと自分の着ている服を見た。いつも防具の下に着ているものと同じ服がベースになっていることはわかる。しかし、まるで元々そういうデザインであったかのように、あまりに自然にコルセットが付け足されている。むしろ、仕立て直されていると言った方が近い。素人の仕事だとは思えない。

「…嘘だろう?」
ティーカップが訝しげな視線でトキオを見る。
「嘘じゃねえって。サイズとか感触、どうだ?どっかもたついたりしねえか?」
トキオはコルセットごしにティーカップの腰に触れた。
「サイズは丁度いいし、これといった難点はないな。…本当に君が?」
ティーカップはまだ疑っている。
「うん」
特に難しいことをしたつもりのないトキオは、信じてもらえないことが不思議で、きょとんとしている。
「君にこんな特技があったとはな」
「俺の実家、服屋だから。仕立て直しなんかもやってるから、よく手伝いでこういうことしてたんだよ」
トキオの言葉を聞いて、ティーカップの耳がほんの少し立ちあがった。

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