299.メモ

ローブの男は座ったままでクロックハンドを見上げ、制するように掌を向けてから、自分の顔の前に人差し指を立てて"声を出さないように"というジェスチャーをしてみせた。
そこへウェイトレスが、何枚かのメモ用紙とペンを持ってきた。男はそれを受け取ると、サラサラと紙にペンを走らせた。

クロックハンドはしばらく男の側にいたが、手にペンと紙を持って元のテーブルに戻ってきた。
「なんだ?」
トキオが言うと、クロックハンドは男と同じように、自分の唇の前で人差し指を立てるジェスチャーをして、渡されたメモの一枚をトキオに見せた。
メモには、短い文章が書かれていた。

『 あなた方は、イチジョウ マサチカと同じパーティではありませんか? 』

「…」
トキオは思わずクロックハンドを見た。クロックハンドは、ニ枚目のメモをトキオに渡した。

『 イチジョウは、パーティとは別に、人を雇ったりしていませんか? 』

トキオが思案顔になると、クロックハンドは渡されたペンと、何も書かれていないメモ用紙をテーブルに置いて、指差した。
-書いて答えろってことか。
理解はしたものの、トキオは腕を組み、考え込んだ。
イチジョウの状況はよく知らないが、今も追いかけられているのは確かだ。何者かもわからない相手に、下手なことは言わない方がいいと思う。
トキオがクロックハンドに小さく首を振ると、クロックハンドは頷いて、ペンを取った。

『 プライベートについてはよく知らないので、答えられません 』

クロックハンドはそう書いて、トキオに見せた。トキオが頷く。
クロックハンドはまた立って、ローブの男に返事を書いた紙を渡した。

男はそれを読んでがっくりと肩を落とし、クロックハンドに頭を下げた。クロックハンドが小さく会釈を返すと、男は小銭をテーブルに置いて立ち上がり、店を出て行ってしまった。彼のハーブティーを運んできたウェイトレスが、「あの、お客様」と困った声で言った。

「イチジョウ関係とはなぁ」
席に戻ったクロックハンドに、トキオが言う。
「なんやようわからんけど、イチジョウ、ほんま大変やね」
「うん…」
「俺、ごく普通の家に生まれて良かったわ」
「俺も」
トキオとクロックハンドはハーブティーを飲みながら、しみじみと頷きあった。
*
店についてから数時間経つが、ブルーベルは飽きもせず、陳列してあるアイテムを見ては店員に話し掛けている。
「ほんとにマジックアイテムが好きなんだねぇ。ウチで働いてくれないかしら」
ブルーベルの姿を遠目で眺めて、ヒメマルの横に立っている職人が言った。ヒメマルの服の見積もりをして、注文を受けてくれた人物だ。
「他にも色々勉強したいことがあるって言ってたから、どうかなあ」
服を受け取ったヒメマルは、客用の長椅子に腰掛けてのんびりしている。
「そういう姿勢の人が一番欲しいんだけどねぇ。アイテム造れるようになったら?ウチで売らせてって言っておいて?委託販売もやってるから」
「言っとくよ」
ヒメマルが言うと、職人は小さく手を振って奥のカウンターへ歩いていった。

座り心地のいい椅子に深く腰をかけなおして、ヒメマルはブルーベルを目で追った。
暗色を基調にした美しい装飾がほどこされた工房に、ブルーベルは溶け込んでいる。
-黒髪も似合うだろうなぁ。
そんなことを思いながら見ていると、
「彼が恋人?」
すぐ横から突然声がした。
「うん」
ヒメマルの横に座っているのは、初めてここへ来た時に馬車で出会った女性だった。
-いつの間に隣に座ってたんだろ。やっぱりここって、ちょっと変わった人が来るところなんだろうな~。
そんなことを思いながら、ヒメマルは女性を眺めた。絹のような長いストレートの黒髪に、胸元の大きく開いた深緑色のローブがよく似合っている。

じっとブルーベルを観察していた女性は、
「彼は何を探しにきたの?」
とヒメマルに訊いてきた。
「今日はね、俺の注文してたものを取りに来たんだ。彼はこういう場所が好きだから、ついてきただけだよ」
「そう…」
女性は穏やかな笑顔を浮かべて、静かに頷いた。
「どうしてそんなこと訊くの?」
ヒメマルが問い返す。
「服のコーナーに、彼によく似合いそうなローブがあったの」
「えっ、どんなの?」
ヒメマルの声が弾む。お洒落に無頓着なブルーベルの服を見繕うのは、近頃では趣味のひとつのようなものだ。
「見てみる?」
「みるみる」
立ち上がった女性の後について、ヒメマルは工房の奥にある服飾コーナーへ向かった。

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