297.ベンチ

トキオの言葉に対してティーカップは何も言わず、部屋に戻ってからもほとんど会話を交わさないまま、眠りについた。
*
朝、目を覚ますともうティーカップは出かけていて、トキオはベッドで身体を起こすと溜息をついた。
宿のモーニングを注文して平らげた後、そのまま部屋に篭り、先日買ってきておいた材料で服にちょっとした加工をした。
思ったよりも時間がかかって、午後2時を過ぎてから昼食に出かけた。

普段は行かない街の中心方面の店で食事を終えると、そのまま散歩がてら広場に向かう。
-朝からずっと1人っての、久しぶりだなー。
高い空を見上げながら歩く。つい出そうになる溜息を飲み込んで、トキオは空いているベンチを探した。

座れそうなベンチはひとつだけだった。
それも空いているわけではなく、端に1人、茶色いローブ姿の男がじっと座っている。
-反対の端っこなら別に構わねえよな。
ベンチは大人4人が腰掛けられる長さで、端同士なら先客とはそれなりの距離を保てる。トキオはそのベンチに腰を下ろした。

空気は澄んでいて、少し涼しい。デート日和だ。
-くっそー。
トキオはベンチの背もたれに、広げた両肘をひっかけた。
何の気なしに、横に座っているローブの男に目をやった。男は来た時と同じ姿勢のまま、背を曲げて下を向いている。
ローブと一体になっているフードを深く被り、鼻の上まで布で覆っていて、ほとんど人相がわからない。
唯一見えているのは目元だが、眉間に深い皺が刻まれ、瞳には暗い影が落ちている。
-なんか…すげえ悩み事でもあんのかな。
トキオは男から目を離した。
-潜ってそうな感じだから、仲間が死んだとかいう可能性も…あるか。
隣の男の深刻な様子に比べれば、自分の悩みが些細なもののように思えてきた。

-なんだかんだ言っても、好きな奴と付き合ってんだもんな。付き合ってるからこその悩みなんて、贅沢なもんかも知れねー。
トキオはベンチから両腕を離して、胸の下で組んだ。
「トキオやんか、なにやっとんの」
横からかかった声を反射的に見上げると、クロックハンドが立っていた。
「ティーは?」
クロックハンドは、きょろきょろと辺りを見回した。
「別行動してる」
「デートしとると思っとったわ」
「俺もしたかったんだけどよ」
「ティーどこ行っとんの?」
訊きながら、クロックハンドはトキオの隣に座った。
「壊れたネックレス治しに行ってる」
「一緒に行けば良かったやん」
「…その、治す店ってのがビアスの紹介なんで、ビアスが一緒なんだよ」
「またビアスかいな」
「…うん」
「落ち込んどるねえ」
「…うん…」
トキオは項垂れた。

「それ、トキオとデートすんの蹴って行ったん?」
「いや、あっちが先に約束してたみたいでよ」
「なんや、ほなしゃあないやん」
「あ…、…うん…。でも、まさか休みの日ィ取られるとは思ってなかったから、ちょいショックでなー」
トキオは腕をほどいて両手を上げ、頭の後ろで組んだ。
「次は早めに約束しとかなあかんねえ」
「…そっか…」
ティーカップが他の男と出かけるのを防ぐには、早めに予定を押さえてしまうのが一番かも知れない。
「そうだな、これからはそうする」
「それがええね」
クロックハンドはトキオの肩をポンと叩くと、顔を寄せた。
「な、横の人知っとる?さっきからごっつ見られてるんやけど」
「え…そこのローブの人か?」
小声のクロックハンドに、トキオも小さく返す。
「うん、こっちのほうチラチラ見てるで。俺の知り合いやないよ」
「俺も知らねえよ…」
「なんやろな…」
「あっちが先に座ってたからな、うるせえと思ってんのかも」
「場所変えよか」
トキオが頷いたのを合図に、2人は立ち上がった。

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