275+.交換条件(1)
イチジョウが帰った後、バベルはハーブティーを煎れなおしながら、あの日のことを思い起こしていた。
*
カイルが診療所の椅子に腰をおろすと、バベルは早速口を開いた。「ネクロマンサーのジョイ、知ってたっけ?」
「アイテムの売買で、何度か顔を合わせたことはある」
「じゃ、ササハラは知ってたっけ?」
カイルは目を上げ、記憶を辿った。
「…侍だったか」
「うん」
「何度かパーティを組んだことがある」
「そうか。俺もササハラとはそこそこ組んだことがあって、割と好きだったんだけどね」
「…」
カイルは黙って続きを待つ。部品ばかりで、話がよく掴めない。
「簡潔に話すと」
バベルは寝台に座って、腕を組んだ。
「ジョイが、死体が手に入ったからアンデッドにするところを見せてくれるっていうんで行ってみたら、それがそのササハラの体でね」
「…で?」
「俺は結構な物好きだけど、流石に止めた」
「普通、そうだろうな」
いくらEでも、知り合いがアンデッドになるのを見たいという者はそうそういない。
「保存状態がよかったから、蘇生させてくれって頼んでみたら、交換条件出された」
「条件の内容は?」
「カミュと寝られるならOKだって」
こんな場面で突然ファーストネームを呼ばれて、カイルは眉を顰めた。
「何故そこで私の名前が?」
「ジョイがカミュのこと気に入ってるって話、してなかったっけ」
「初耳だ」
カイルは溜息をついて額に手をあてた。
「つまるところ、私がその話を断ったら、蘇生可能な人間がアンデッドにされるということなんだな」
「そういうこと」
「脅迫だな」
「うん」
「…」
カイルは額に手をあてたまま、睫毛を伏せた。
父の性質も性格も受け継いでいない、むしろ正反対に近い性質のカイルは、恋愛や性欲に関して極めてストイックに生きてきた。
人の命と引き換えにそういう条件を出してくる者の感覚は、本当に理解出来ない。
「ダメかな」
「…」
多少見知っている程度の人間のために、今までほとんど人と触れ合ったことのない体を投げ出す必要があるのだろうか。
見捨てるのは後味が悪いが、もとより蘇生されずに終わったはずの者ではないか。それに、父の頼みを断れないほど世話になっているわけでもない。
カイルの意思は、断る方向に傾きはじめた。
「この話受けてくれたら、カミュの欲しがってた化石竜の目玉あげるよ」
バベルの言葉に、カイルはぴくりと反応した。
父の持つ珍品の中でも、化石竜の目玉は上級マジックアイテムの作成に必須とも言える素材だ。大きな都市でまれに売りに出されることがあるが、何年も地下に篭ってやっと買えるぐらいの天文学的な値段がついている。
気持ちが大きく揺らいだが、物と引き換えに体を差し出すというのは、あまり気持ちのいいことではない。人を救うためという理由の方がまだましだ。
「ああ、目玉あげるから寝てくれっていうんじゃないよ。あくまでこれは、俺からのお礼だからね」
カイルの気持ちを見透かしたように、バベルが付け加えた。カイルの中で物欲が大きくなる。
長い沈黙の後、カイルは口を開いた。
「とりあえず、ジョイに会ってみたい」
*
墓地にほど近い廃屋の床に、ジョイの住処への入り口が隠されている。そこからひんやりとした石造りの地下室へと降りると、鉄のドアが見えた。
バベルがノックすると、ドアは高い金属音を立てながらゆっくり開いた。
「連れてきてくれたのか」
ジョイは、やや細長い部屋の奥から歩み寄ってきた。
「まだ了解したわけじゃないんだけどね」
バベルが答える。
「まあとにかく奥へ来いよ」
ジョイが手招きする。歩き出したカイルとバベルの後ろから、ドアの陰にいた人影がゆっくりとついてきた。
カイルが振り向いてその姿を確認すると、フードのついたローブをすっぽりとかぶって、顔全体を覆う仮面をつけていた。
「そいつは手下一号」
ジョイが子供のような笑顔で言う。
「アンデッドなのか?」
カイルが言うと、ジョイは胸を張った。
「ダンジョンうろついてる奴らみたいに臭くないだろ」
「そうだな」
「そこが自慢でさ」
実際、カイルは部屋に入った途端に腐臭がするのではないかと身構えていたのだが、この部屋からそういう臭いは全くしない。
カイルは、目の前にいるジョイを観察した。
濃い黒の眼と髪が印象的だ。端正な顔立ちで、表情は少し幼い。以前に取引で会った時にも感じたことだが、年齢がよくわからない。
眺めるだけなら申し分のない外見だが、こういう手合いには変わり者が多いことをカイルはよく知っている。バベルの知人は、こんなタイプばかりなのだ。
「侍の体を見てみるか?」
ジョイが言う。
「…ああ」
カイルは頷いた。
「こっちだ」
ジョイがそう言って指差したドアを、"手下一号"が開いた。