274.午前0時

ダブルとさんざん飲んだ後でグラスに簡単に挨拶して、トキオは部屋に戻ってきた。
-帰って来てるかな…
ドアを開けて、緊張しながらベッドルームを覗いてみると、ティーカップはもう眠っていた。
安堵と共に、力が抜けた。

シャワーを浴びてパジャマに着替え、トキオはそろそろとシーツの中にもぐりこんだ。
ティーカップは静かな寝息をたてている。

-恋人に、なってくれたんだよな?
こんなに間近で寝顔を眺めているのに、胸に浮かぶのは不安ばかりだ。
-適当に答えてみたとか、からかわれてるとか…ってこと、ないよな…?
普通では有り得ないようなことでも、ティーカップなら有り得るような気がする。
-こういう気持ちでいるってこと、素直に言ったほうがいいんだよな、多分。
トキオにはティーカップの考えていることがよくわからないが、ティーカップもトキオの心境をわかっていないのかも知れない。
どう思っているのか伝えなければ、とイチジョウも言っていた。
-明日、ちゃんと言おう…
体に残った大量のアルコールに誘われて、トキオはすっと眠りに落ちていった。
*
「寝てなかったか?遅くなっちまって」
開けられたドアの向こうを覗き込んで、ダブルは息を飲んだ。
ダブルにコインを差し出しているイチジョウの目は真っ赤に腫れている。
「…どうしたよ…」
ダブルはコインを受け取ると、すぐに部屋に入った。

イチジョウはダブルに抱えられてベッドに運ばれたが、横にはならず腰掛けた。
「大丈夫です、すみません」
擦れた声だが、イチジョウはハッキリ言った。
「…なんか、あったか」
「些細なきっかけで感情が乱れてしまいまして。もう大丈夫です」
ダブルにはバベルの問診票-もう燃やしてしまった-の話をしたかったが、他言厳禁という記述があった。
詳しいことがわかるまで、イチジョウは口を閉ざすことにした。

「ちょっと出かけてきます」
イチジョウが立ち上がったのを見て、ダブルは驚いた。
「今からか!?」
もう午前0時を過ぎている。
「急ぎの用事なもので。先に休んでいてください」
イチジョウは柔らかい顔で頷いて、髪をまとめなおした。
一緒に行こうかと言いかけて、イチジョウの横顔に拒むような影を感じたダブルは、
「…気をつけてな」
としか言えなかった。

イチジョウの背を見送って、ダブルは軽く溜息をついた。
どう見ても、かなり泣いた目だった。
イチジョウが泣いている間、自分はトキオと笑いながら飲んでいた。
罪悪感より先に、失敗した、という言葉が頭に浮かんだ。
-…ん…こりゃ、ちっと好きんなっちまってんのか?
ダブルは両膝に手を置き、イチジョウのことを考えかけて、
-考えてたら本格的になっちまいそうだな。やめやめ。まだ早え。
立ち上がってバスルームへ向かった。
*
イチジョウはブレスレットを軽く握り、周囲を警戒しながら道を急いだ。

ササハラの、「最期」。

死に様を聞いてどうするつもりなのか、自分でもわからない。
ただ、何かの区切りをつけられるような気がする。


診療所の前までたどり着いたイチジョウは、ドアをノックした。
「どうぞ」
開いたドアの向こうで、イチジョウを確認したバベルが椅子から立ち上がった。
青白く暗い照明の部屋にバベルの姿が同じ色で浮いていて、イチジョウは死神を連想した。
「早かったね。まあ入って」
バベルはドアに近づいてイチジョウを招き入れると、ぶら下げてある看板を裏返して"本日の診療は終了"の文字を表に出した。

ドアを閉めたバベルが小さく長めの言葉を呟いて触れたノブから、波紋のような光が部屋を包むように広がって、消えた。
「これで誰も聞けない。適当に座って」
部屋の真中に立っているイチジョウに向かって、バベルはそう言った。

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