272.西と南
グラスへの挨拶を済ませると、ミカヅキは簡単に2人ぶんの席を確保した。「よう座るとこ見つかったな」
クロックハンドが言うと、
「この席の連中、もうすぐ立ちそうだと思ってたんだ」
ミカヅキは笑顔で応えて、ナッツの皿をクロックハンドの前に置いた。
「グラスはどこ行くんやて?」
「詳しくは聞いてないけど、南海の島に行くみたいだ」
「みんながよう行く言うてる西の方やないんや?」
「南はダンジョンや危険地帯の宝庫らしい。西へ行く人は知識を増やしに、南へ行く人は新しい敵やスリルを求めて行くんだと思う」
「なるほどなあ」
ナッツを齧るクロックハンドの前に、ミカヅキがビールを置く。
「西の方いうんは、そない色々勉強できるもんなんか?」
「大きな研究所が多くて、術師だけの街や、王宮の抱える書庫もあるそうだよ」
「ほな俺が錬金術勉強しとる間、お前も退屈せえへんで済むわけや」
「うん、ゴーレム関連に真面目に取り組んでみようと思ってる」
「そらええなぁ」
クロックハンドはジョッキを口に運びながら、横目でミカヅキを眺めた。
目力遮断セット(ミカヅキのゴーグル、眼鏡、コンタクトをクロックハンドはそう呼んでいる)をつけてからというもの、ミカヅキとの会話はすっかり落ち着いたものになった。
趣味の話や興味のある勉強の話、雑談まで、以前に比べて遥かに内容は充実している。
これまではほとんど会話になっていなかったのだ。
ミカヅキが1喋ると、クロックハンドが8返す。ミカヅキが2を喋ろうとする前にクロックハンドが蹴り飛ばす。
そんな調子だったような気がする。
-こいつの性格、ほっとんどわかってへんかったなあ。
最近、しみじみとそう思う。
クロックハンドに影響されていないミカヅキは饒舌で、知識が豊富で、自信家で-しかし慢心しているわけではなく、探究心旺盛な男だ。
恋愛に不調法だという自覚があり、時に遠慮がちに、時にはっきりと好意を口に出す。
クロックハンドは、そんな男は結構好きだ。
-会った時からこないやったら、全然違たんちゃうかなあ。
「そこの皿をこっちにくれないか、そう、サーモンとジャーキーの」
ミカヅキは手の届かないところにある皿を渡してくれるよう人に言って、受け取るとクロックハンドの前に置いた。
好きな食べ物が、どんどん手元に集まってくる。
ミカヅキは、クロックハンドの嗜好をほとんど把握しているのだ。
-楽でええんやけど。
このところ、ミカヅキの献身的な行動を見ると妙な気分になることが多い。これがどういう感情なのか自分でもよくわからないのだが、その度に胸にモヤがかかるような感触があって、あまり気持ちのいいものではない。
ほんの少しだけ首を捻って、クロックハンドはサーモンマリネをつついた。
*
「トキオはダブルと付き合った方がいいんじゃないのかな~」仲良く飲んでいる2人の姿を遠巻きに眺めて、ヒメマルが言う。
「でもリーダーが好きになったのはティーだ」
ブルーベルがカクテルのチェリーを齧った。
「そうなんだよね~」
「ちょっと疲れてきたな」
ブルーベルはもたれていた壁に頭をコツンと当てる。
ヒメマルとブルーベルは店に来た時からずっと立ちっぱなしだ。
「部屋に戻ろうか」
「うん」
持っていたグラスを近くのテーブルに置いて、ブルーベルとヒメマルは店を出た。
道を少し進んだところで、ブルーベルが立ち止まった。
「どうしたの?」
ヒメマルが振り向くと、
「歩く気なくなった。おぶって」
ブルーベルは、けだるげに言った。
「飲んでばっかりいるからだよ~」
背を向けてヒメマルがしゃがみこむ。ブルーベルが首に腕を回す。
「あー、月が綺麗だ」
ブルーベルを背負って歩きながら、ヒメマルは空を見上げた。
「狼男の気分が盛り上がりそうな夜だね」
軽く振り向いてみる。
ブルーベルは頬をヒメマルの肩に乗せて、すっかり力を抜いている。このまま眠るつもりなのだろう。
ヒメマルは笑って、再び空に目を向けた。
月の光は気持ちいい。
-いつか、素っ裸で大の字になって月光浴したいな~。
ふとそんなことを考えて、背中の温もりを意識した。
-ベルならつきあってくれそうだなあ。今度言ってみよ。