269.送別会
ギルガメッシュの人口密度はじわじわと増し始め、20時には祭りの時のようにごったがえしていた。「これ、ほとんどグラスの送別会の参加者か?」
トキオは座ったままで、人だらけの周囲を見回して言った。
「そうみたいですね。あまり交流もありませんので、私はさっと挨拶して宿に戻ります」
テーブルに残ってずっとトキオの話に付き合っていたイチジョウは、荷物をまとめて立ち上がった。
「長いこと話聞いてくれて、ありがとな」
トキオが言うと、
「恋の悩みを聞くのは楽しいですから」
イチジョウは笑顔を返してグラスの席へと歩いていった。
人ごみを掻き分けて進むと、椅子に座っているグラスの背中がなんとか見えた。
「失礼、ひと言だけ」
イチジョウはひしめきあう体の隙間を縫って近づき、
「グラスさん」
肩越しに声をかけた。
「ん…おぉ、イチジョウ氏か」
既に酒の入っているグラスは顔を上げてイチジョウを確認すると、大らかな笑いを見せた。これだけの人脈の中で、僅かに話した程度の自分が覚えられていたことにイチジョウは驚いた。
「貴方と組んでみたかったです。新天地でもお元気で」
「ありがとう。どこかで会おう」
グラスは狭い空間で身体を捻って、少し無理な体勢で右手を差し出した。イチジョウがその手を握った時、グラスが付け加えた。
「最近見ないが、ササハラにもよろしくな」
内臓を掴まれるような感触に、イチジョウの動きが止まった。
表情を崩さず笑顔で頷き、握手を解くと、イチジョウは人の間に体を捻りこむようにして道を作り、外に出た。
*
-イチジョウは人に相談しねえタイプなのかな。ジャーキーを齧りながら、トキオはぼんやりと考えていた。
話を聞いてもらっている時に、イチジョウも何かあったら言ってくれと持ちかけてみたのだが、言うほどのことはないと笑顔で流されてしまったのだ。
-それともダブルに話してんのかな?
「なんだ、椅子あるじゃねえか」
トキオの横に来て、テーブルの下に入り込んでいた椅子を引っ張り出したのは、まさにダブルだった。
「しかもトキオじゃねえかっはっは」
ダブルはトキオに気付いてカラカラと笑った。かなり酒が入っているようだ。
「なんかツラ暗いぞ、もっと飲めよ」
ダブルは手に持っていたビールをトキオのジョッキに継ぎ足した。
「…おう!」
トキオはジョッキの半分を勢いよく流し込んだ。
「そうそう、そうでなくちゃあよ」
ダブルはトキオの肩を抱いて、ポンポン叩いた。
「なんか悩み事でもあんのか」
肩を抱いたままでダブルが言う。
「んー、悩みっつうか」
トキオは言葉を濁した。さんざんイチジョウに話した後で、ダブルにまで同じことをぼやく気にはならない。
「もっと自分に自信を持ちてえなあとか思って」
「持てばいいじゃねえか」
ダブルは簡単に言う。
「ガタイもいいしツラも悪くねえし、エリートクラスの忍者様なんだ、もっと自信持っていいぞ」
率直な誉め言葉に、トキオは少し照れた。
「全く自信ねえってわけじゃねんだけど」
「うん」
「ティーカップ相手だと、まるっきり駄目になっちまうんだよな」
「そりゃ仕方ねえ。惚れた方が弱いのはどうしようもねえよ」
ダブルはまたカラカラ笑った。
「ダブルも惚れた相手には弱くなんのか?」
「そりゃ多少はな」
「…好きな奴に嫌われたらどうしようとか思って腰が引けちまうことって、やっぱみんなあるんだよ…な?」
トキオは控えめに訊いてみる。
「ん~、でもなぁ」
ダブルはビールを置いて、顎に手をあてた。
「あんまりビクビクしてても仕方ねえしな。自分押し殺してつきあったってどうせ長続きなんかしねえから、俺はあんまり遠慮しねえなあ」
「…」
トキオは至近距離にあるダブルの顔をじっと見つめた。
「…んん、なんだ?キスして欲しいのか?」
「ちっ違う」
トキオは慌ててダブルと自分の顔の間に掌を挟んだ。
「どうやったらお前みてえになれるんだろうと思っただけだよ」
「そーんなこと言うなよ、お前さんにゃあお前さんの良さがあるじゃねえか」
ダブルは抱きっぱなしのトキオの肩をペチペチ叩いて笑った。