265.緊張

昨晩は今まで通り抱き枕にされて眠ったのだが、本当に今まで通りで、恋人同士らしき会話も何もないうちに眠られてしまった。
朝起きてからの行動も、やはり今までと何も変わらない。いつも通りモーニングを食べて、さっさと準備をして出てきた。
-エルフのつきあい方って、こういうもんなのかなー…
トキオは昨晩からずっと緊張している。
もっと恋人らしい会話をしたり、…触れたりしたいのだが、ティーカップがあまりに平然としているので、きっかけが掴めないのだ。
それどころか、普通の会話すら上手く出来ていない。
-こんなんじゃ、ふられちまうかも…

自分のことでいっぱいいっぱいになっているトキオは、久しぶりにテーブルにイチジョウがいることを気にとめず、
「はよっす」
と言うと、そのまま椅子についた。
「イチジョウ、今日から戻れるてー」
クロックハンドに言われて、やっと思い出した。
「あ、そうか」
トキオは改めてイチジョウの方を向いた。
「…あれ、なんか痩せたか…?」
「多少やつれましたかねえ」
イチジョウの笑顔の頬に影が落ちている。やはり半端ではない何かが起こったのだろう。
「無理っぽかったらすぐ言ってくれよ」
「そうします」
イチジョウは笑顔のまま、素直に頷いた。
*
「そうだ、リーダー」
エレベーターに向かう途中で、ブルーベルが後ろから話し掛けてきた。
「ん?」
トキオが振り返る。
「グラスの送別会やるって」
「お、今日?」
「うん、20時過ぎぐらいからギルガメッシュで適当に集まって始めるって。途中参加してもいいし、途中で抜けるのも好きにしてくれって言ってた」
「んじゃ行くかなー。結構な人数になりそうだな」
「ミカヅキも参加するて言うてたわ」
クロックハンドも振り向いて言う。
「ちょっと話聞いてるだけでも、知り合い多そうだよね~」
「親衛隊の人なんかも来るんでしょうかね」
ヒメマルとイチジョウがそんなことを話していると、ティーカップも振り向いた。

「親衛隊から、そんなに簡単に抜けられるものなのか?」
「あ、そういえばそうだよな…」
トキオが思案顔になる。高額の報酬や給料を貰っておいて、じゃあ今日でやめます、というわけにはいかないだろう。
「俺もそれが気になって、聞いたんですけど」
ブルーベルがティーカップに向かって答える。
「最初に渡された賞金を返金して、賞金と同額の除隊手続き金を払って、今までに貰った給金も全て返金して、やっと出ることを許されたそうです」
「きっつぅううー!」
クロックハンドが豆鉄砲を食らったアヒルのような顔をした。
ティーカップがその唇の上下を摘んで閉じる。
「すごい金額なんじゃありませんか?」
イチジョウが訊く。
「持ってたお金ほとんどなくなっちゃったって、ね」
ヒメマルが言うと、ブルーベルが横で頷いた。
「でも、またすぐに潜って、旅費と多少の生活費は工面できたとか」
「グラスらしいな。…にしても、うっかり入隊したらえれえことになるんだな」
トキオは肩を竦めた。
「うちのパーティは、みんなあっちゃこっちゃ行くつもりやから、とてもやないけど誰も親衛隊入るわけにいかんねえ」
クロックハンドは頭の後ろで指を組んだ。

「そうだよなー…」
言いながら、トキオはティーカップが郷里に帰ると言っていたことを思い出していた。
自分も同行することになる、のだろうか。
告白する前は、もし付き合うことが出来たらもちろん一緒に…と思っていたのだが、今の雰囲気だと置いて行かれそうな気がしないでもない。
-ついて行こうとしたら、何故君まで来るんだ? とか言われたりしてな。
自分の想像に、トキオは項垂れた。

「ところで」
エレベータの前で、ティーカップが口を開いた。
「うん?」
ボタンを押そうとしていたトキオが手を止める。
「最近マロールを使わないのには何か意味があるのか?」
「…あ。」
トキオが声を出すのに続いて、
「あ」
「あ」
ブルーベルとクロックハンドが同時に声を出し、
「あ、ほんとだ」
「すっかり忘れてました…」
ヒメマルとイチジョウが言った。久々に4階に降りた時以来、習慣が戻ってしまっていたようだ。
これからはまたマロールで9階まで飛ぼうと話し、パーティはそのままエレベータを乗り継ぎ、シュートで10階へ降りた。

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