212.役目

宿に戻り、買ったものをテーブルに置いてひと息つくと、ササハラは腕を組んでイチジョウの方を向いた。
「茶でも頼みましょうか」
「…、いや」
イチジョウは少しの間をおいて、首を振った。
ササハラは頷き、椅子に腰掛けた。
「結構な人出でしたが、夜にはなお盛り上がるんでしょうね」
「…でしょうね」
「…」
立ったままで、どこか切れの悪い言葉を返すイチジョウに何かを感じたらしい。
「イチジョウ殿、何か…?」
ササハラは疑問と心配感をないまぜにしたような表情で言った。
「…」
イチジョウは前髪をかきあげ、大きく、しかし静かに息を吐いた。
「ササハラ君、単刀直入に訊きます」
「…は」
ササハラが神妙な顔をする。
イチジョウは彼の目を見据えて、言った。

「君は、猩々なんですか?」

問われたササハラの表情は、変わらなかった。
-が-
ややあって、イチジョウにまっすぐ視線を返していた目を伏せたササハラは、はっきりと答えた。

「そうです」

イチジョウは大きな溜息と共に目を閉じ、額に片手をあてた。

「手の込んだことをするな」
イチジョウは落胆と呆れを含んだ声で呟いた。
「イチジョウ殿に取り入って、郷へ戻るよう仕向けるというのが私の役目でした」
「だろうな」
イチジョウは、やっと椅子に腰を下ろした。
「それにしても、主人の婿に手を出していいのか」
自然と皮肉めいた言い方になる。
「手段は選ばずとも良いと御家からは伝えられていましたし」
ササハラは顔を曇らせる。
「何より私が本気になってしまいました故」
「…」
イチジョウはテーブルに片肘をついた。

「声をお掛けした時点で、指示されていたことに従う気は一切失せていました」
「なら何故その場で身分を明かさなかった」
「…信用していただけると思えず」
「時間と共に状況が悪くなることぐらい、想像が出来たろう」
「…」
ササハラは頷き、首を振った。
「逃げ切ってのち、ゆっくりお話しようと思っていました」
「…あぁ、」
イチジョウは何度目かの溜息と共に、投げるように言った。
「俺に帰る気がないことも、逃げる手段も、全部筒抜けか?」
「一切伝えてはおりません!!」
ササハラは間髪入れず叫んだ。
「私はご一緒するつもりで」
「ついでに奴らもご一緒か」
「違う!!本当に逃げるつもりだった」
ササハラは頭を振って、拳を握り締めた。
「頭領が動いたのも、私が何も伝えず、いつまでも実のある報告をしませなんだ故」
「よく出来た言い訳だ」
「…」
ササハラは俯いた。
「信じていただけないのは当然です」
「そうだな」
イチジョウは奥の部屋を見やった。2つのザックと服、鎧が目に入る。
立ち上がり、荷物を簡単にまとめてテーブルに戻ったイチジョウは、今日買った物もザックに詰め込んだ。
「一時のことだったが、楽しかった」
イチジョウの言葉に、ササハラは顔を上げた。
何かを言おうとしているものの、言えない。そんな表情だ。
イチジョウは、ササハラの口が開きそうにないと判断すると、振り返らずに部屋を出た。

ササハラを失うのは惜しい。
しかし、信じて失敗した場合のリスクがあまりに大きい。
連れ戻されたが最後、二度と郷から出られないだろう。
あの閉鎖された小さな郷で一生を終えるのはごめんだ。
-宿は空いてないかも知れんな…。久々に馬小屋か。
イチジョウはまた、溜息をついた。

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