211.偶然
ティーカップの後ろ姿を呆然と見送ってしまってから、我に返ったトキオは慌てて振り向いた。さきほどの薬が完売して、行商は一旦休憩らしい。集まっていた人はほとんどいなくなっている。
「あ、あの、」
トキオは、簡素な木の椅子に座る錬金術師に近づいた。
「さっきの薬、エルフが使ったら身体に悪いのか?」
売り子と違って地味な錬金術師は、同じく簡素で小さなテーブルに肘をついて、穏やかに笑った。
「ヒト型だけでなく、ほとんどの生き物に害のない秘薬しか使っていません。まずないとは思いますが、もし体質に合わずにアレルギーを起こすにしても、軽い症状で済むはずです」
「…っすか…、ども」
トキオはティーカップが走り去った方向へ小走りに駆け出した。
「残念ですが、彼は恋する誰かのもとへと走り去ってしまうでしょう」
売り子の少年の言葉が何度も脳裏をよぎる。
-誰んとこ行ったっつうんだよ。ビアスか…俺の知らない男って奴か?
ため息をついて立ち止まると、トキオは辺りを見回した。
-…待てよ。5分待ってから探した方がいいかな…
誰かとキスしている所を目の当たりにでもしたら、当分立ち直れそうにない。
トキオはとりあえず、中央公園に向かって歩きはじめた。
噴水まわりの石囲いに立っていれば、向こうが見つけるだろう。見つける気があればの話だが。
-しばらく待って来なきゃ、宿で待ちゃいいか。
そんなことを思いながら、パンツのポケットに入れた小瓶をいじる。
今夜ゆっくり使い方を考えようと思っていたのに、とんだことになってしまった。
噴水まで辿り着いたトキオは、早速皆が腰を下ろしている石の囲いの上に立った。
囲いの高さは1m近くある。こんな所に立つのは目立ちたがりか、人探しをしている者ぐらいだ。
大雑把に人ごみを見渡してみた。
目立って背の高い者は大体人間で、恐らく地下に潜っているであろう戦士体型の男が多い。
ティーカップはエルフにしては大きく、それでいて人間とはシルエットが違う。
この広場に来てさえくれれば、こちらから見つけるのはさほど難しくなさそうだ。
「なんや、トキオやんか。そんなとこで何やっとん?」
足元から声をかけられて、見下ろしてみるとクロックハンドだった。
「ちょっとな、-はぐれちまって」
トキオはまた、人の頭の群れに視線を戻した。
「ティーとはぐれたん?」
「うん」
「酒場におったで」
「え!?」
トキオは石囲いから降り、クロックハンドの前に立った。
「ギルガメッシュか?」
「いや、そっちの通りの店。おもてまでテーブル出してるとこや、すぐわかると思うで」
「…誰か、一緒だったか?」
「どうやろ。入ってくとこ見ただけやしな」
「ん」
クロックハンドの横で、どこかで見たようなホビットが相槌を打った。
「…うし」
トキオは肩ごと大きく頷いた。
「行ってみるわ、サンキュ」
酒場はすぐに見つかった。
通りに出されているテーブルは人で埋まっていたが、その中にティーカップは見当たらない。
人の間を抜けて、店の扉を開く。上半身だけ覗き込むようにして店内を見回すと、カウンターにうつぶせているティーカップらしきエルフの姿が見えた。
周りに"相手"と思わしい人物は、いない。
少し安心すると、トキオは店に入って、エルフに歩み寄った。
「ティーカップ?」
確認するように声をかけると、彼はうつぶせたままでゆっくりこちらを向いた。
「…」
ティーカップに間違いなかった-眉間をしかめ、口元を押さえたままだ。
「大丈夫かよ」
トキオが隣に座ると、バーテンが「ご注文は」と目で聞いてきた。
「ビール、と…水」
トキオが言うと、
「水はセルフサービスだ」
死角になっていたカウンター脇の暗がりから声が聞こえて、水の入ったグラスを片手に、
ビアスが現れた。
-。
トキオの思考が止まった。
想像しうる限り一番嫌な状況に直面して、驚きやショックを通り越してしまったのだ。
「偶然だ。おかしな想像をするな」
ティーカップは顔を上げ、前髪を整えた。