207.道化
「ヒメ、俺、錬金術も勉強したい」抱え上げられたままで、ブルーベルがヒメマルに言う。
「いいねー、なんでもどんどんトライだよ~」
ヒメマルは笑顔で答える。
「良い関係ですね」
ササハラが、イチジョウにだけ聞こえるような声で言った。
「ですねえ」
イチジョウはしみじみと頷く。
知的好奇心旺盛なブルーベルにとって、ゆったりと見守るタイプのヒメマルは最良のパートナーだろう。
「では、我々は移動しましょうか」
ササハラが言うのにイチジョウが頷いて、2人が軽く手をあげると、ヒメマルはにこやかに手を振った。
錬金術について話しながらしばらく歩いて、道の左右を出店が占める狭い通りに入った時、
「ササハラ」
正面から歩いて来た男が、声をかけてきた。
イチジョウは簡単に彼を思い出した。高い位置で結った明るい茶髪と、整った顔立ち。
ギルドの店で出会った侍、ササハラの前の男-ソウマだ。
「…あぁ。何だ。何か用か」
ササハラはそっけなく返した。
「少しだけ時間をもらえんか。話したいことがある」
ソウマは真剣だ。
「今でなくとも構わんだろう、明日以降にしろ」
ササハラはあからさまに不機嫌な声を出す。
「少しだけだ、手間は取らせん」
「なら明日でも良かろう」
「ササハラ君」
見かねたイチジョウは、2人の間に割って入った。
「私はぶらぶらしていますから。後で…そうですね、中央広場の噴水で会いましょう」
ササハラは何か言いたそうな表情でイチジョウの顔を見たが、溜息と共に頷いた。
「かたじけない。ササハラ、あちらで話そう」
ソウマはイチジョウに向かって頭を下げ、ササハラを促した。
「すぐに切り上げます」
ササハラはイチジョウにそう言って、ソウマの後をついて行った。
-なんの話でしょうねえ。
後ろ姿が人ごみで見えなくなるまで追っていたイチジョウは、軽く首を捻ってから辺りを見回した。数人の道化や大道芸人が所々で芸を披露して、道行く人を立ち止まらせている。
-人が多くなってきたな。出店に何か、そそられるものは…。売ってないか。
そんなことを思いながら歩いていると、目の前に仮面の道化が現れて、イチジョウの行く手を塞いだ。
よけて通ろうとしたが、道化はイチジョウの動く方、動く方へと合わせて道を開けてくれない。
イチジョウが苦笑いして立ち止まり、腕組みをすると、道化も立ち止まって、手招きのような仕草を見せた。
道化の指先は、出店と出店の間を指している。
「…路地に入れと?」
イチジョウが訊くと道化は大げさに礼をして、人の間をすり抜けるような動きで路地へすべりこんでいった。
-猩々か?
イチジョウは警戒心を持ちながらも、後を追った。
身体を斜めにしなければ、前進できないような狭さだ。
道化は路地の奥で、右方の壁にもたれるようにしてイチジョウを待っていた。
「誘うなら、もう少し色気のある場所にして欲しいもんだな」
イチジョウが言うと、道化は派手な帽子を取ってあらわになった黒髪を掻き、仮面に手をかけた。
「俺だって、もうちょっといいとこで話したかったよ」
「!!」
イチジョウは息を呑んだ。
仮面の下から現れたのは、懐かしい-
「矩親!!!!」
「久しぶりだな、兄者」
「…あぁ…」
幾分大人びた弟の顔に、イチジョウは頬を綻ばせた。
「久しぶりだ」
抱きしめたい気分だ。が、この狭さではそうもいかない。
「兄者のことはかなり前に見つけてたんだけど、なかなか声をかけられなくてな」
矩親は、少し汗ばんだ額を仮面で扇ぎながら言った。
「何故だ?」
「兄者の傍にはいつも猩々がいるだろ。見つかりたくない」
矩親は汗でわずかに濡れた前髪をかきあげた。
「いつも…?」
イチジョウは狭い路地を見回した。左右は家壁。上には細い空が見えるばかりだ。
「張ってる奴がいたのか。気づかなかったな…」
「?? 張ってる? …気づかなかった?…???」
矩親は怪訝な顔をした。
「兄者、ついさっきまで猩々と一緒に歩いてたじゃないか」