205.ヘス

「ヘス…、かあ!」
思い出したトキオが驚きもあらわに言うと、ヘリオ・サイス-ヘスは笑顔で頷いた。
地下では下ろしていた髪を後ろでひとつにまとめていて、だいぶ印象が違う。
「昨日、グラスと一緒に潜ったろ」
「…あぁ」
トキオの言葉に、ティーカップは少し顎を上げた。
「君はエルフの美丈夫に友人が多いな。羨ましい」
ヘスがトキオに言う。
「多い?」
ティーカップの他に該当者を思い起こせなかったトキオは、聞き返した。
「ビアスとも親しそうだったじゃないか」
「あ…、いや、親しいつうわけでもねえけど」
「戻ってから食事に行ってただろう?」
「ん、まあ、そうだけど、誘われたんで行っただけで」
言いながら、トキオはティーカップに顔を向けた。
「前にこの人と組んだ時、ビアスも一緒に潜ったんだよ。んでメシ誘われて」
別に悪いことをしたわけでもないのに、言い訳をしているような気分になりながら、トキオは言った。
「ふぅん」
ティーカップは気のない相槌を打つと、手近の服を見始めた。

ティーカップが手に取る服をしばらく観察してから、ヘスはトキオの方へ向き直った。
「グラスのことは聞いてるか?」
「え?別に何も聞いてないけど、何かあったのか?」
「この街を出るそうだ」
「!! まじで!?」
「もう、ここの迷宮では物足りなくったのかも知れないな。恋人とも別れて、思い残すこともないんだろう」
トキオの脳裏に、ティーカップが地下でグラスに言い放った言葉とあの時の情景が、ありありと浮かんだ。
グラスは何か考えているようだった-もしかすると、あれがきっかけになったのかも知れない。
「あ…んじゃ、グラスのパーティはどうなるんだろ…」
ひとりごとのようなトキオの呟きに、ヘスが答えた。
「そうだな。メンツは毎日違ったが、彼を中心に集まっていたわけだから、今までと同じように集まるかどうかはわからないな」
「困ったな」
トキオはまた呟いた。
グラスの探索のテンポは確かにハードだったが、彼が前衛に立っていると大きな安心感があった。
彼のパーティでは入れ替わりながら何人かと組んだが、皆クセが強い。
あの中に、グラスの代わりにリーダーを務められる人材はいないような気がする。
「グラスの所に集まっていた連中は、バラけて好きなように組むだろう。君もそうすればどうだ」
「…う…ん」
トキオは悩んだ。ベテランEのパーティは、極端な話、能力の高い利己主義者の集団である。
即席で組む時には、常に不安がつきまとう。
わざとメンバーを見殺しにして、死体から装備品を奪うような輩がいないとは言い切れない。
グラスがいたからこそ飛び入り参加が出来たのだ。トキオは今更ながらグラスの存在感に尊敬の念を抱いた。

「君は」
ヘスは緩い腕組みをして、軽く切り出した。
「親衛隊に入って、この土地に骨をうずめるのか?」
「…、いや…」
突然の質問に、トキオは言葉を詰まらせた。
親衛隊に入るつもりは、もうほとんどないのだが-
「グラスのように、街を出るのか?」
「…、…か、な…」
ティーカップとの関係次第というところもある。が、もし振られた場合-つまり街を出る理由がなくなった場合-のことは、あまり深く考えたことがなかった。
いかにも「決めかねている」というトキオの表情を眺めて、ヘスは口元を緩めた。
「別に、慌てて考えることでもないだろうが…ただ」
ヘスはひと呼吸おいて、天を仰いだ。

「世界は広いぞ」

「…!!」
トキオは息を呑んだ。
突然、地平線まで視界が開けたような錯覚をおぼえたからだ。

「まあしかし、何よりも」
ヘスは腕組みをほどいて腰に両手をあてると、少し離れた所でブラウスを物色しているティーカップに視線を向けた。
「今の君にとっては、彼の心を掴むことが最優先事項か」
「う!?」
抜けた顔で立ち尽くしていたトキオは、頬を赤らめて体を引いた。
ヘスは笑っている。
トキオが「なんで」と言おうとした時、ティーカップが戻ってきた。
「聞いていいか?」
ティーカップは片手に薄蔦色のブラウスをかけたまま、ヘスに言った。
「なんでもどうぞ」
「君は男性、女性、どっちなんだ?」
「おっ…」
トキオは慌てた。自分でも気になってはいたが、そんな質問はいくらなんでも不躾だろう。
しかし、ヘスは笑顔を崩さずに答えた。
「どちらでもないよ」

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