203.リボン
「うっし!」カーニバル3日目の朝。
鏡に向かって立ち、何度か角度を変えて自分の姿を見直した後、トキオは掛け声と共に頷いた。
シャツの胸元に入っている飾りの革紐が、どうしてもうまく結べなかったことがほんの少し気がかりだが、さして目立つものでもない。
-5分前か。
枕元の時計を見たトキオは、もう一度鏡に向き直って軽く髪を整えると、腿のポケットに財布を突っ込んで部屋を出た。
扉に鍵をかけている時に、隣室からティーカップが出てきた。
「よう」
鍵を財布とは別のポケットへ入れて、トキオは手を上げた。
「おはよう」
ティーカップは挨拶と同時に手早く鍵をかけ終えた。
真珠色のブラウスの襟元にベロア風素材の深紅のリボン、黒いベストとパンツは乗馬服に似たシルエットで、ロングブーツは同じく黒、膝下までのレースアップ。相変わらずトキオが一生着ることのなさそうな服装だ。
-いつもよりヒラヒラが抑え目だな。こういうのもいいもんだな…
服装への視線に気づいたのか、ティーカップはトキオの方へ向き直り、ベストの胸に掌を置くと、
「今日は一日君と連れ立って歩くだろう?バランスを考えて全体的に地味に抑えたんだ。感謝したまえ」
顎を軽く上げて言った。
「ん、…ぁあ」
トキオは顔を緩ませたまま、ふやけたような返事をした。
「しかし全く、君はいつもアースカラーばかりで代わり映えしないな」
ティーカップは肘を抱え、口元に手をあててトキオを観察している。
「そっかな。合わせやすいんでついつい」
トキオが自分のシャツとパンツを見下ろしていると、胸元に手が伸びてきた。
「シンプルであるほど、ポイントには気を配るべきだ」
ティーカップは、トキオのシャツの革紐のリボンをほどいて、結びなおし始めた。
「あ…どうやってもねじれちまってよ」
「普段、意識してリボンを結ぶことがないからだろう」
ティーカップは手際よく革紐をさばいている。
その手元と、少し俯き加減のティーカップの柔らかい表情に、
-な、なんか…、なんか、すげえいい感じじゃねえか?これ…
トキオの頭は昇った血と幸福感でぼんやりしてきた。
「さて」
革紐を結び終えたティーカップが顔を上げた。
「っあ、サンキュ…」
トキオは整った革紐に手をやり、目前のティーカップを見て、その距離の近さに慌ててまた視線を落とした。
「あの服は持っていかないのか?」
「…あっ、あれ」
トキオはシャツの裾をめくってみせた。
「一応、下に着てんだけど」
「…」
ティーカップは再び口元に手をあてて、めくれたシャツの下から覗いているラメ入りの服を見つめている。
「…、」
「…」
ティーカップは無言のまま、トキオの表情を窺うように目だけで見上げてきた。
「…な、なんだよ…」
トキオは少し頬を赤くして、シャツの裾を戻した。
「君はその服に、どんなパンツをあわせたらいいと思う?」
「…まぁ…そりゃ…お前が着るようなの…、かな…」
「で…それを君が着たとして、似合うと思うか?」
「…思わねえけど…」
「自覚はあったんだな」
「っあ、やっぱお前、これが俺に似合うと思って選んだわけじゃねえんだな!?」
「当たり前だ、似合うわけがない」
「…」
トキオは唇を舐め、腕組をした。
「なんで似合わねえってわかってるもんわざわざくれるんだよ?」
「君がどんな反応をするか見てみたかっただけだ」
「…。いいけどよ…部屋で着るから…」
「着るのか!?」
ティーカップは盛大に眉を寄せた。
「着るよ」
トキオは開き直ったように腰に手をあてて答えた。
「別にいいじゃねえか、似合ってなくたって。部屋ん中なら誰も見ねえんだし」
「意地にならなくてもいいんだぞ。何なら捨てるなり」
「お前にもらったもん捨てられるかよ」
トキオはヤケのように言って、そっぽを向いた。
今までは、考えていることを勢い余って口に出してしまうことが多かったが、今回は自覚の上だ。
どうせまた、きっと、…多分…、流される。
ティーカップは静かに睫毛を伏せ、前髪をゆっくりかきあげると、口を開いた。
「まあ、好きにしてくれたまえ。これでその服に合わせる為の服を買う、という目的はなくなったわけだが、今日は服屋には行くのか?」
「…、行く…」
-マジで流されたよ…
トキオは心の中で深い溜息をついた。