198.召喚

実に1時間半かけて描き上げられた魔方陣は、さながら精巧な魔術的歯車の設計図のようだった。

「ふ~。これぐらいきちっと描いてあれば、魔方陣が原因で失敗ってことはなさそうだね」
魔方陣を眺めるブルーベルの後ろに立って、ヒメマルが言った。
「だと思うんだけど」
ブルーベルはまだ、本に描かれているものと目の前の魔方陣を見比べている。
「仕上がりましたか」
イチジョウが、ひとつしかない入り口の前から大きな声で訊く。
門番の役目を受け持っていた3人は、待つ間に4回の戦闘をこなしていたが、いずれも小物だったのでさして疲労はしていない。
「ベル、OK?」
ヒメマルが、ブルーベルの両肩にそっと手を置く。
「…、…うん」
何度か本と地面の間で視線を往復させてから、ブルーベルは頷いた。

「召喚の詠唱するから、魔方陣から出来るだけ離れて」
ブルーベルはイチジョウ達に言った。
「正面から見たかったですね」
魔方陣から離れながら、ササハラが少し残念そうに言う。
魔方陣を中心に、ブルーベル達とイチジョウ達はちょうど90度の位置関係だ。
「同感です。でも、詠唱中に邪魔が入っては台無しですし」
オスカーは魔方陣と扉の両方が目に入る位置に立った。
イチジョウとササハラもそれに倣う。

「本持ってて」
ブルーベルはヒメマルに分厚い本を渡した。
「召喚の言葉、本見なくても言える?」
「覚えてる。本持ってたら、なめられるかも知れないだろ」
「…ん、わかった」
ブルーベルがこの本を手に入れてからというもの、このページを読みながら口の中で何度も召喚の言葉を繰り返しているのを見ていたヒメマルは、素直に本を受け取った。

ブルーベルは一歩踏み出し、魔方陣に近づいた。
目を閉じ、深呼吸する。
唇を軽く湿らせてから、ブルーベルは口を開いた。

「仄暗き地、闇に凪ぐ白き風、銀の風、時として刃と成りし其を統べる誇り高き将軍、風の王の僕」

静かな部屋に、普段とはまるで違う、張りのあるブルーベルの声が通る。

「ここに白の炎、銀の炎、地の奥底より吹き上げる灼熱の息吹もてその座たらん」

変化は起こらない。

「我が粛々と迎うるに相応しき姿にて来たれ」

ササハラがイチジョウの表情を窺おうとした時、
「!!」
部屋の中央に向かって突風が吹き、3人は姿勢を崩した。
「…く!」
オスカーは巻き上げられたマントごと引きずられそうになって、足を踏ん張った。
風は更に吹き続け-否、魔方陣の中央へと空気が吸い込まれているようだ。
-来たのか!?
ササハラは姿勢を低くして、魔方陣を見る。

まだそれらしき姿はない。部屋の周囲の空気がごうごうと音を立て、渦を巻くように魔方陣へ集まっている。
風の隙間に、青白い電光が走りはじめた。
イチジョウは、はためく袖と髪を抑え、半分ほどしか開けられない目で、一番軽装であろうブルーベルを見た。
ヒメマルがブルーベルの腰を抱きしめて、魔方陣に吸い寄せられるのを食い止めている。
-これを最後まで…喚んでしまって大丈夫なのか?
イチジョウは底知れぬ不安を感じたが、ブルーベルは詠唱を止めはしなかった。

「疾く来たれ、気高きその姿現したまえ、風の将ハリコン!!」

風が一瞬ぴたりと止まり、次の瞬間

ゴォウ

と、部屋中が吼えたかのような轟音が鳴り響き、空気が真っ白に光った。


イチジョウ達が目を開けると、魔方陣の中央には白く光る騎士の如き姿が現れていた。

大きい。4mはあるだろうか。その身体には腿から先の脚がなく、宙に浮いている。
周囲にはまだ竜巻のような風をまとい、腿から下、腕の先などがおぼろげに揺れ続けている。
風によって構成されている存在なのだろう。

ブルーベルは、魂が抜けたように呆然とそれを見上げている。

白い悪魔は鎧に覆われた長い腕をゆっくり広げると、部屋のどこからも聞こえるような、不思議な低い声で言葉を発した。

『**+*+**.***//****,+**++***+**+*****-*』

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