197.握り拳

「あーびっくりした。マジでめちゃくちゃ惚れられてんのな。今のがミカヅキだろ?」
シキはグレープフルーツジュースを飲んでから、まだ丸くなったままの目をクロックハンドに向けた。
「そうや」
クロックハンドは少しぬるくなったポテトをつつきながら、つい先ほどまでの会話を思い出す。
*
「あのなあ、エディ」
見上げるミカヅキに向かって、クロックハンドは真剣に語り始めた。
「お前、俺以外の人と一回も付き合うたことないやろ?それつけて、せっかく俺も他の人も同じように見えるようになっとんやから、他の人も観察して来いや」
「…、でも…」
ミカヅキは俯いた。
「別に、俺に会いに来るんはかまへんから。俺のことばっかり考えるんやなくて、こう…頭まっさらにしてやな、色んな人と関わってみいよ。俺のことも先入観とっぱらって、落ち着いてよう観察してみ。"交際"申し込むんはそれからでも遅うないはずや」
クロックハンドは、こめかみに人差し指を当てながら言った。
「…」
それを見つめながら、まだ踏ん切りのつかない顔をしているミカヅキに、
「俺は、視野の狭い男は好きやないぞ」
クロックハンドは断定的に言った。
「…わかった」
ミカヅキは冷静に頷くと、立てた自分の片膝に置いた掌を押すようにして立ち上がった。

「恋愛について、俺は本当に未熟だ。比較対象なしにフィリップを一番だというのは失礼だな」
-いや、ちょっとちゃうんやけど…
顎に右手をあて、背筋を伸ばして姿勢よく立つミカヅキを見上げて、クロックハンドは少しアヒル顔になった。
「幸いカーニバルには様々な人種が集まってるし、そういう勉強にはもってこいかも知れない。歩き回ってみる」
「一日や二日で観察終わりましたーとか言うなや?」
クロックハンドの言葉に、ミカヅキは姿勢を崩さないままでしっかりと頷いた。
「人間はそんなに簡単なものじゃない、な」
「そういうこっちゃな」
そう言ったクロックハンドをゴーグルの奥から柔らかい眼差しで見つめ、短い深呼吸をしてから、ミカヅキは口を開いた。
「会いたくなったら、部屋に行ってもいいだろうか」
「おるかどうかわからんけどな。エコノミー1号館の107号や」
「ありがとう」
ミカヅキは貌を綻ばせると、初めてシキに視線を移して軽く一礼し、広場の出口のひとつへ向かって行った。
*
「ダブルの時も向こうから告ってきたんだろ。モテまくりじゃん」
シキは指に残った蜂蜜を舐めている。
「あんまり贅沢な状態になったら、どないしてええかわからんようになるけどな」
「マァジ贅沢。俺なんか、自分から好きんなってばっかりだよ。困るぐらいモテてみてー」
シキは座っていた石垣から降りた。
「追っかけられるより、好きな奴追っかける方がおもろいやろ」
「面白えけど、辛いことも多いじゃん」
「まぁそうやな」
言いながら、クロックハンドも石垣から降りた。
「あーダメだ、手ぇ洗いて~」
「あっちに口から水出しとるライオンヘッドがあったやろ」
話しながら、二人は広場を後にした。
*
マロールで一気に飛んだ『召喚魔法実験パーティ』は、現れた2体のレッサーデーモンを軽く蹴散らして、その場所をめいめいじっくりと見回した。
「真四角だし、いい場所だ」
ブルーベルはそう呟いて、先の細くなっている円筒形の白い石と黒い石を両端にくくりつけた長い紐を、腰に下げていた小さな袋から取り出した。
「こっち地面に押し付けてじっとしてて」
ベルは部屋の中央にヒメマルを連れて行き、黒い石を握らせた。
「…あっ、コンパスね」
ヒメマルは自分の役割を理解して、言われた通りにする。
ベルはヒメマルを中心に、白い石で床に大きな円を描きはじめた。
石は見た目よりも柔らかいらしく、床には遠目にもわかるほどの太い筋が、湧き出るようについていく。

「魔方陣を描いてるんですね」
邪魔にならない位置まで移動して、作業する二人を見ながらオスカーサードが言う。
「時間がかかりそうですね」
ササハラが周囲を警戒する。
「邪魔が入らなければいいですが…」
イチジョウが言うと、
「その為の私たちです」
オスカーが右手でぐっと握り拳を作って、力強く言った。

Back Next
entrance