169.沸騰
シキと30分ほど雑談した後、部屋に戻ってひと休みし、夕方になって軽い食事を摂ったトキオは、夜のパーティの集合テーブルに向かった。「もうちょっと構ってやった方がいいんじゃねえかな?」
グラスに会ったらそう言おうかと思っていたのだが、しばらく考えているうちに、余計なお世話のような気がしてきた。
-人のことに首突っ込んでる場合じゃないしな。
トキオは、本日8度目の<カーニバル計画・脳内シミュレーション>を開始した。
想像するだけで顔がニヤけてくる。
「ほらぁ、こんなんだよ?」
突然低いところから声がしたので見下ろすと、椅子に座ったビオラの指がトキオの緩んだ顔に突きつけられていた。
「??」
トキオがビオラの視線を追うと、
「テッ」
そこには普段服のティーカップが座っていた。
「なんでお前?」
トキオが間抜けな声を出すと、片肘をついていたティーカップはゆっくり立ち上がった。
「やっぱ俺さぁ、スリィピーの方がいいと思うよ」
ビオラがトキオを見上げて言う。
「なんなんだよ?なんだ?」
トキオはビオラに目をやり、ティーカップを見て、更に同じテーブルについていたスリィピーを見た。
「ティーカップには、トキオよりスリィピーの方が似合うと思うんだよ」
ビオラがいきなり破壊力のある言葉を言ってのけた。
「だから、トキオと別れてスリィピーとつきあったら?ってアドバイスしてたんだ」
「…、…」
トキオは絶句した。
『自分とティーカップは相思相愛の恋人同士』という、"設定"が、ティーカップに伝わってしまったらしい。
トキオはごくりと唾を飲み込んで、恐る恐るティーカップに視線を向けた。
ティーカップは、これといった感情を見出せない、無表情に近い顔でこちらを見返している。
「やっぱこうやって見比べたら、スリィピーの方が絶対いいね」
ビオラは歯に衣着せぬ意見を述べつづけ、最後にティーカップに向かってとんでもない質問を浴びせた。
「トキオのどこがそんなに好きなの?」
ティーカップは、スリィピーとトキオを何度か見比べると、
「…ふむ…、」
軽く頷いて、トキオの側に歩み寄った。
トキオの血の気は頭からすっかり引いて、心臓に集まっている。
「どこも好きじゃない」等といった、絶望的な言葉を浴びせられるかも知れない。
第一、ティーカップはこの嘘をどう思っただろうか?
元々はブルーベルの言い出した嘘だが、その嘘を訂正しなかったのだから自分も共犯だ、とトキオは思う。
-思いっきり嫌われる可能性大だよな、これ…
トキオが苦い顔を隠すように右手を口元にあてると、その上腕にティーカップが触れた。
「例えば…この逞しい腕だな」
言ったティーカップの掌は、トキオの腕をゆっくりと上下に往復してから鎖骨へと滑ってきて、トキオは自然と右腕を下ろすことになった。
「…それから、この厚い胸」
ぴっちりとしたタンクトップに覆われた胸筋を撫でるように指を滑らせると、ティーカップはトキオをじっと見つめた。
恋人に向けられるような潤んだ眼に、先程から通常の三倍のスピードで鳴り続けていたトキオの心臓は止まりかけた。
ティーカップは実に10秒近くトキオを見つめていたが、ふっとビオラに視線を移し、
「まぁ…抱かれてみなければわからないだろうな」
そう言って笑うと、トキオに触れていた手をひらりと振ってテーブルから離れていった。
トキオの頭には血が昇りなおして-むしろ昇りすぎて沸点に至ってしまい、謝ろうと思っていたのに引き止めることすら出来なかった。
「過剰な筋肉に魅力を感じるってことか」
スリィピーが肩をすくめて、腕をWの字に開いた。
「エルフは皆、バランスの良いスマートなシルエットに惹かれるものだと思ってたよ」
ビオラはトキオを…というよりトキオの体を、興味深げに観察している。
スリィピーの皮肉も、ビオラの視線も、トキオには届いていない。
トキオはそのままの状態で長い間棒立ちになっていたが、
「…今日ちょっと…ダメだって、グラスに伝えといてくれ」
喉から押し出すように言うと、ギルガメッシュを出た。
初秋の夜の心地良い外気に冷やされて、トキオはどうにか物を考えられる状態になった。
ティーカップがどういうつもりであんなことを言ったのかは、わからない。
当然、本心で言ったわけではないだろう。その場の流れに合わせてふざけただけだ。
それでもこんなに-嬉しい。
自分の気持ちの強さを改めて実感したトキオは、立ち止まって深呼吸をした。
-とにかく、謝りに行こう。