168.探索中毒
「とりあえず、降りろ」トキオはシキの両肩を掴み、ひきはがすようにして体から離した。
「いいじゃんかよ」
「誤解されたらどうすんだ」
「誰に?」
「そりゃ…、…グラス、とか」
本当は『ティーカップに』と言いたかったのだが、なんとなくおこがましいような気がして、口に出せなかった。
「別れるからいい」
シキは、ぷっと頬を膨らませて横を向いた。
「あのなぁ」
トキオは困惑顔に少し怒りを加えると、シキの頬を両手で挟んで自分の方に向けなおした。
「俺を痴話ゲンカに巻き込むなよ」
「ケンカなんかしてねえよ」
シキは視線を落として、横にそらす。
― 愚痴りてえのか?
トキオは小さく溜息をついた。
「…降りてくれりゃあ話聞くぜ」
トキオがそう言うと、シキは肩を落とし、しぶしぶトキオの膝から降りた。
「グラスは元々探索中毒でよ」
シキは、運ばれてきたカクテルのチェリーをいじりながら話しはじめた。
「3日にいっぺん帰ってくればいい方だったんだけど、最近週イチですらなくなってきたんだ」
「っても…、そんな長いこと潜りっぱなしってわけじゃねえんだろ?」
トキオは新しく注文したビールに口をつける。
「もちろん上がって来てる。でも馬小屋で休んでメシ食って、すぐにまた潜っちまうんだ。部屋まで戻って来ない」
「…」
トキオはカリカリと頬を掻いた。
「こんなこと言うのなんだけどよ。もしかしたらグラス、潜ってないんじゃねえか?」
「潜ってるフリして、他の男んとこ行ってんじゃないかって?」
気まずい顔のトキオとは対象的に、シキは平然と答える。
「うん、まあ」
「そりゃねえよ。グラスはセックスより探索の方が好きなんだぜ。俺とつきあってくれてんのも奇跡に近いんだから」
シキはチェリーをぱくっと咥えこんだ。
「まぁ、でも…もしかしたら、そうなのかもな」
トキオが言葉の意味をはかりかねて首を傾げると、シキは枝だけになったチェリーを眺め、再びそれを咥え直なおした。
「パーティん中に、気になる奴がいるのかも知れねーってこと」
「…」
「ま、そうじゃねえとしても。俺、淋しんぼうなんだよ。10日にいっぺんも帰って来ないんじゃな。他の男と寝んのも飽きたし、潮時かも知んねえと思ってさ」
トキオは複雑な気分になった。
もし自分の恋人が<探索中毒>だとしたら …多分、一緒に潜るだろう。
迷宮探索の経験がある人間のほとんどは、そう答えるのではないだろうか。
淋しがり屋なら、尚更だ。
それでも潜らず、あまつさえそのまま好きな男を諦めようというのだから、シキは探索中によほどの目に遭ったのだろう。
トキオはそれがどんなことなのか想像しようとしたが、自分の奥底に眠っている探索への恐怖を掘り起こしてしまうような気がして、考えるのをやめた。
コメントに困っていると、シキがトキオの肩に手を置いた。
「だからトキオ、俺とつきあおうぜ?」
「…ん…あ?はあ!?」
意表をつかれたトキオは、声を裏返らせた。
「エルフなんかプライド高いし気まぐれだし、大変だぞ。人間同士の方がいいって、なっ」
シキは笑顔でトキオの腕に抱きついてきた。
「ちょ、待て。待てって。無理、無理」
トキオは絡みついたシキをほどきにかかる。
「なんでだよー」
しがみつくシキの手首を掴んで、トキオは大きな声を出した。
「俺ぁ今、ティーカップのことで頭いっぱいなんだよ!」
瞬間、周囲の目がちらほらと2人に集まった。
赤面したトキオの腕を離し、シキは自分の腰に手をあてた。
「そんじゃフラれてからでいいや」
「お前なぁ、」
「早く告白しろよ。俺が伝えてやろうか?」
「ほっといてくれ」
「ちっ」
「舌打ちすんな」
「だーってよー」
椅子の上であぐらをかいたシキに、
「大体な、いかにもグラスの代わりじゃねえかよ。もし俺が完全にフリーでも、つきあうとは言わねえぜ」
トキオはしかめっ面で言った。