163.悪魔
いつものように10階へ降りたパーティは一番目の守衛をあっさりと倒し、二番目の扉の前に立っていた。「10階の怪物も、いい加減見慣れてきたな」
先頭のティーカップが、あくびをしながら扉を押す。
「まだ遭ったことない怪物もいんだから、油断…」
後ろから声をかけたトキオは、扉の向こうに見えた影に言葉を失った。
暗闇の中に仄青く浮かび上がるそれは、目にするだけで戦慄を呼び起こす、圧倒的で巨大な悪魔の影だった。
ドラゴンや巨人族を上回る威圧感に、内臓が萎縮していく。
…パタン。
ティーカップが、何事もなかったように扉をゆっくり閉じなおした。
「…」
「…」
「…」
「…」
「…」
「…」
全員が無言で扉から数歩後ずさりしてから ― 全速力でもと来た方向へと駆けだした。
*
行き止まりまで走ったパーティは、壁に手をついたり床に座り込んだりして、各々、切れた息を長い間整えていた。「…あれ、何や?」
最初に口を開いたのはクロックハンドだ。
「たぶん、グレーター、デーモン」
ブルーベルが、まだ肩で息をしながら答える。
「夜のパーティでも、遭ったこと、なかったの?」
ヒメマルが訊くと、ブルーベルは頷いた。
「なかった…気をつけろって、言われてたけど」
「ミカヅキのメモにも、要注意って書いてあったよな」
トキオは唇を舐めた。
「あの悪魔は、マダルトを使うんでしたかね?」
イチジョウが紐を口に咥え、乱れた髪をまとめ直しながら言う。
「そうそう、そうだよ。色々呪文使うんだ」
トキオは頷いた。
「あと確か、マヒとか」
「挨拶をかかさないとか」
「…うるせえなあ」
トキオは赤くなって、横槍を入れたティーカップを見た。
普段はまとまりのある前髪がバラついて、頬にかかっている。
-うおっ、色っぺー…
鼻の下を伸ばしているトキオを見て、
-こんな時やのに見蕩れとるわ~。ほんまにわかりやすいやっちゃなあ。
クロックハンドはアヒル口でニヤリと笑うと、両腰に手をあてた。
「挨拶魔神、まだドアの近くにおるかなあ」
「どっちにしても、ドアの向こう行かないと帰れないしね~」
ヒメマルは床に座り込んであぐらをかいている。
「ドアを開けて、こちらに向かって来てるかも知れないぞ」
髪をかきあげて整えながら、ティーカップが恐ろしいことを言った。
「やめてくれよ」
トキオは肩を竦めた。
「有り得なくもない」
ブルーベルがすっと背筋を伸ばし、走ってきた回廊の彼方に目をやった。
「…ふぅ~。戦う覚悟、しといた方がいいかなぁ」
ヒメマルは、よっこらしょと声を出して立ち上がった。
「それより、屈伸してアキレス腱をよく伸ばした方がいいな」
「逃げる準備をしとけっちゅうこと?」
クロックハンドが言う。
「そう」
ブルーベルは懐から取り出したメモを見て言った。
「体力が多く、マダルトをはじめとするグループ攻撃呪文を使い、直接攻撃に麻痺の追加効果を持ち、高い確率の呪文無効化能力があり、その上仲間を召喚する。ポイズンジャイアントと違ってマカニトも効かない。こんなのとまともに戦ったら全滅しかねないよ」
それを聞いて、トキオは目を丸くした。
「そんな危ない奴だっけか?」
「データとして知っていても、直接あいまみえるまでは危機感が沸かないものですねえ」
イチジョウは腕を組んだままで本当にアキレス腱を伸ばしている。
「マダルトを使うとなると、3匹以上同時に出て逃げ損ねたら全滅の可能性があるな」
ティーカップが足首を回しながら、縁起でもないことを言う。それを見上げて、
「3匹以上なら、ハマンを使います」
ブルーベルがはっきりと言い切った。
「いい子だ」
ティーカップはブルーベルの頭をくしゃっと撫でると、左手を前方に振った。
「行こう」