155.花弁
ヤズエが迷宮の入り口に足を踏み入れたのと同時に、パーティは9階へマロールで飛んだ。トキオがティーカップの手を握りっぱなしだったのに気付いたのは、シュートを降りて、後衛に移動しようとした時だ。
自分で握っておきながら大いに驚いたトキオは、思わずティーカップの顔を見た。
ティーカップは握られた右手を軽く上げると、問い掛けるように、ほんの少し首を傾げた。
「あ、うん」
何に頷いているのか、自分でもよくわからないが-
トキオは唇を舐めてからゆっくりと手を離すと、アヒル笑顔を浮かべているクロックと立ち位置を交代した。
「ほら、もう離せよ」
「えー」
パーティが移動しはじめるのと同時に、横でヒメマルとベルがじゃれはじめた。
「手、繋いだままじゃ咄嗟に剣構えられないだろ」
「大丈夫だよ~、俺は滅多に前に出ることないもん」
「そういう油断すんなって言ったろ!?」
「は~い」
拗ねるような声を出したヒメマルは、繋いでいたブルーベルの手の甲にキスをしてから、名残惜しそうに指をほどいた。
-ベル、マジでヒメマルに惚れてんだな。
2人のやりとりを眺めていたトキオは、しみじみとそんなことを思った。
怒るのは、本気で心配しているからだ。
傍目には、ヒメマルがブルーベルの尻に敷かれているようにしか見えないかも知れないが。
「あうっ」
トキオが思いに耽っている間に何を言ったのか、脇腹に一発入れられたヒメマルが、くの字になった。
-いや、敷かれてんのは敷かれてんのか…
*
この日の探索では、特筆するほどのことは-トキオが一度も罠の解除に失敗しなかったことを除けば-起こらず、メンバーは全員、体力的にも呪文の残数にも余裕のある状態で引き上げてきた。特筆することがなかったのは収穫についても同じで、腐ったアイテムや使いようのないスクロール、既に持っている装備など、売るしかないものばかりだ。
「役に立つもんちゅうのは、なかなか見つからんなあ」
クロックハンドがピーナツを齧りながら言った。
「こうしてみると、イチジョウが着けてる悪の鎧ってレアだよね」
ヒメマルが隣のイチジョウに言う。
「そうですね。もう少し頻繁に見つかるものかと思ってましたが…」
イチジョウは、笑顔で鎧の胸に手をやった。
「そういえば、イチジョウについてきていた男が見当たらないな」
ティーカップがウェイターからワインを受け取りながら、店内を見回した。
横に座っていたトキオも、つられて周りを見る。
「ヤズエですか…1階でウロウロしてるんじゃないですかねえ」
投げやりに言ったイチジョウに、ウェイターが何か耳打ちした。
イチジョウが頷くと、紙片を手渡してウェイターはカウンターへ戻って行った。
「何?」
ヒメマルが覗きこみたそうな顔をしている。
「なんでしょう」
イチジョウが無造作に紙を開くと、挟まれていた赤い花びららしきものが、ひらりとテーブルに落ちた。
「えっ、えっ、ラブレター?」
クロックハンドがイチジョウにすり寄る。
「どちらかというと、果たし状のムードですけど」
イチジョウがテーブルに置いた紙には、<PM8:00 訓練所前>とだけ書かれていた。
「そっけないな」
ブルーベルがつまらなそうに言う。
「サッパリした性格なんじゃねえの」
トキオが笑うと、ヒメマルが花びらを手にとった。
「そっけない言葉に花びらって、ちょっとロマンチックじゃない?」
「ちゅうか、キザやね。これはなんちゅう花やろか」
「ポインセチアだ。厳密にはこれは葉らしいが」
クロックハンドの疑問に、片肘をついたティーカップがさらりと答える。
「私の心は燃えている」
続いた台詞に、メンバーの視線が集まった。
ティーカップは十の瞳をぐるりと見回してから、ワインに目を落とすと、
「花言葉だ」
と言った。
「へええ~、やっぱりロマンチック~」
ヒメマルは嬉しそうに花びらの裏表を観察している。
「で…これ、行くのか?」
トキオが訊くと、イチジョウは悪びれる様子もなく微笑んだ。
「もちろん」