143.不幸自慢

「ティーカップな、昨晩雨に打たれちまって調子悪ぃんだ」
集合時間に10分遅れてギルガメッシュに走りこんできたトキオは、まだ少し息を切らしながらメンバーにそう伝えた。

目が覚めた時、腕の中のティーカップはまだぐっすりと眠っていた。
しばらく寝顔を眺めていたのだが、時計が9時55分を指しているのに気付いて慌ててベッドから抜け出し、バベルを起こして、寸法の合わない服を借りてここまで走ってきたのだ。

「ほな今日、自由行動?」
クロックハンドがピーナッツを齧りながら訊いた。
「うん、悪ぃけど」
「トキオが謝ることあらへんがな」
クロックハンドはケラケラと笑った。
「良かったよ。俺行きたいとこあったんだ~」
ヒメマルが笑顔で言うと、ブルーベルと目を合わせて頷いた。

「…そんで、イチジョウは?遅刻か?」
トキオが見回すと、少し離れた席に知らない男と対面で座って、何やら話し込んでいるイチジョウが目に入った。
「あれ、誰だ?」
「それがね、大変なんだよ」
ヒメマルは声をひそめると、トキオに顔を近づけた。
「イチジョウ、故郷に奥さんいるんだって」
「どえぇええぇえぇえ!?」
トキオは、思わず大声をあげてしまった。
「今しゃべっとる男、イチジョウのこと連れ戻しに来たらしいで」
クロックが小声で言う。トキオはあんぐりと口をあけたまま、もう一度イチジョウのテーブルを見た。
2人の男は、険しい顔で話し続けている。

「彼も、大きな家の出らしいな」
ブルーベルは空になった自分のグラスを横に押しのけると、ヒメマルのレモネードに手を出した。それを飲みながら、
「ティーの看病、あんたがしてるのか?」
トキオに訊く。
「え?あ、ま、うん」
驚きすぎてぼんやりしていたトキオは、我に返った。
「大丈夫か?」
ティーカップの容態のことか、それとも看病のことか、どちらを訊かれたのかわからなかったが、
「うん、診療所に泊まってっから医者もいるし、大丈夫だ」
トキオは頷いた。
「そう」
それを見たブルーベルは、口元と目元だけで小さく笑った。
「そんじゃ俺、戻るわ」
メンバーからティーカップへの「お大事に」の伝言をいくつも受けながら、トキオは店を出た。


一旦宿に戻って着替えたトキオは、自分の服の中からティーカップに着せる服を選ぶのに少し手間取って―似合いそうな服は一着もなかったのだ―パン屋に寄ってから、病院へ向かった。

ドアは開いていたが、バベルは寝なおしたらしく、診察室には誰もいなかった。
内側から玄関の鍵を閉め、入院患者用の部屋のドアを開けると、ベッドの中のティーカップと目が合った。
*
「入院費は君持ちだぞ」
トキオの持ってきたベージュのカーゴ風パンツを穿いて立ち上がったティーカップは、余っているウエストをベルトで絞りながらそう言った。
「なんでだよ、俺はただの付き添いだろ」
ベッドに腰掛けたトキオは、惣菜パンをほおばりながら抗議した。

「乗り気でない僕を帰るように誘ったのは君だ、その結果の入院だ。大体、ただ失神しただけなんだから宿に帰れば良かったんだ」
ティーカップは同じくトキオの持ってきた黒いシャツを手にすると、前、後ろと眺め回してから袖を通した。
「失神かどうかなんて俺にはわかんねえし、お前がそこまで雷怖がってるなんて知らなかったから」
「怖いんじゃない、好きじゃないだけだ!!いいか」
ティーカップは大きく両腕を振るって否定すると、腰に左手をあて、左足に重心をかけて、トキオをビシリと指差した。

「僕が雷を好きじゃないのは、物心つく前に領内の山中で地盤の緩んだ崖から滑り落ちて、大怪我を負ったまま家の者が見つけるまで三日三晩雷雨にさらされながら生死の境をさまよったせいだ!その経験が幼くデリケートな僕の心にどれだけ大きな傷跡を残したかわかるか?」
トキオは、パンを齧りかけた口を開けたままティーカップを見上げて、小さく首を振った。
女の子が虫を嫌うのと同じような「苦手」なのだろう、と思っていたのだ。
まさか、そんな具体的な理由があるとは思わなかった。

「そうだろう」
ティーカップは、ふんと鼻を鳴らすと、腕を組んで胸を張った。
「だから、君が払え」
「お?? い、いや…あの、でもな。そういう事情だってな。先に言ってくれなきゃ、わかるわけねえじゃんかよ?俺だって、店出る前にそれ聞いてりゃあ…」
「男たるもの、自分から進んで不幸自慢などしないものだ」
ティーカップは顎をあげて、必要以上に高い位置からトキオを見下ろしながら髪をかきあげた。

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