142.薬

派手で景気のいい雨音、時間と共に激しさを増す雷鳴、明らかに嵐が来る予感に気分を浮き立たせている所へ、お気に入りの恋人がやってきた。
すぐにベッドインして2時間ほど楽しんで、だらだらと余韻を楽しんでいたのだが―

バンバン、とドアを激しくノックする音が寝室まで飛び込んできて、やっと、看板を入れていなかったことを思い出した。
「客らしい。ちょっと出てくる」
素肌に直接ズボンを穿いて、壁の隅に固まったYシャツを肩にかけると、バベルはベッドを降りた。

ノックというよりパンチに近い打撃を受けて激しく揺れているドア越しに、わめき声が聞こえる。
「はいはい。元気だね」
呟きながらドアを開けると、ずぶ濡れの大男が人間大の白い塊を横抱きにして立っていた。
「良かったー!!すんません、ちょっと」
言いながら男は、塊をくるんでいるシートを皮を剥くようにめくっていく。
「ああ。久しぶり」
シートの隙間から覗いている睫毛を伏せたエルフの顔を見て、バベルは声をかけた。
「俺が触ると濡れるんで、寝台に運んでもらえないすか」
シートをめくりきった男は、腕の中のエルフを、赤ん坊を渡すようにバベルに向って差し出した。
「仕方ないなあ」
バベルは脱力しているエルフを胞衣のようなシートの中から抱き起こした。

「エルフって、雷に弱いんすか?」
男―トキオは玄関に立ったまま、重くなった上着を脱いで、半開きのドアの外に向けて絞りながらそう訊いた。
「そんなの聞いたことないけど。どうしたの、彼」
バベルはティーカップの体を膝から下を残して寝台に寝かせ、靴を脱がせている。
「目の前の木に落ちたんすよ、雷が。そしたら、そんな風になっちまって」
「ふーん」
バベルはティーカップをきっちりと寝かせなおすと、僅かに濡れている前髪を拭いてやり、トキオにバスタオルを投げてよこした。

「君、風呂入って」
「へ」
「この天候じゃどうせ宿まで帰れないだろう、泊まった方がかしこい。そのままうろつかれても困るし、そこで全部脱いで、風呂入っちゃって。あっちね」
バベルは部屋の左奥を指差した。
「そんじゃ、お言葉に甘えます」
「タオルもローブも好きに使っていいから。あとで入院代コミで別料金請求するから、遠慮しなくていいよ」
「あ、そっすか…」
トキオは一度寝台のティーカップに目をやってから髪を絞り、浴室へ向かった。
*
「ま、びっくりしただけだね」
バスローブ姿のトキオに、バベルは書き物をしながら説明した。
ティーカップは奥の部屋の入院患者用ベッドへ移されている。
「びっくり、すか」
「そう。本人に色々訊いてみたけど、別に病気とかじゃないね。雷嫌いだから、びっくりしただけ」
「じゃ、薬とか飲まなくていいんすか?」
「ただ失神しただけだから。お酒でも飲ませて、抱きしめてあげるのが一番の薬」
「…抱きしめるんスか?」
戸惑っているトキオの声に、バベルが顔を上げた。
「あのね、びっくりしたなんて単純に言っちゃったけど。本当に嫌いなものや苦手なものでショック受けると、誰でも心がぎゅっとね、萎縮するから。そんな時は抱きしめて、安心させてあげるのが一番。彼、体温も下がってるしね。暖めてやるといい。ブランデーとグラス、そこの棚にあるから」
「…ハイ」
トキオは、まだ少し生乾きの髪をタオルでこねまわしながら頷いた。
*
ここに入院患者用の部屋があること自体が意外で、どんなものか正直心配だったのだが、入ってみれば、品のいい調度でまとめられたホテルの一室のようだった。
ランクをつけるなら、エコノミーとロイヤルの間くらいだろうか。なかなかのものだ。

患者用の無味乾燥な服を着せられたティーカップは、ベッドに横たわってうっすらと目を開けていた。
まだ血の気の戻っていない肌は、まるで白磁のようだ。
「これ、ちょっと飲んどけよ」
トキオは左腕でティーカップを抱き起こし、右手でブランデー入りのグラスを口元にあてがった。
ティーカップは口先だけでほんの少し酒を舐めると、けだるげに顔をそむけてしまった。

「なんてえか…ごめんな。無理に帰ろうとすんじゃなかったな」
苦手なものを見つけたと、少しでも面白がってしまった自分が恥ずかしい。トキオは腕を伸ばしてグラスを手近な棚の上に置くと、ベッドの中にじりじりともぐりこんだ。
ティーカップが小さく唇を動かしたが、何を言っているかわからない。
「明日聞くから…寝ようぜ、な」
トキオがゆったりと背中に腕を回すと、ティーカップはあっという間に眠りに落ちた。

Back Next
entrance