139.目と波

「どこまで行くん~」
店の外に連れ出されたクロックハンドは、前を行くササハラに声を投げた。
「長く歩かせてすまん。そこだ」
ササハラが示した扉には、看板のような木の板が打ちつけられている。

* 診療所 * 
各種 キズ ケガ 治します 
医師 バベル(ビショップ) 
診察時間:起きている時

「?病院かいな?投げやりな営業方針やなあ」
「ともかく、入っていただけるか」
「ええけども」

扉の向こうには、白衣と同じぐらい白い肌色の医師―バベルが立っていた。
その前の丸椅子には、ミカヅキが座っている。
「なんやお前、何やっとんねん」
クロックハンドの軽い言葉にミカヅキが身を縮めた時、
「あ、やっぱりね」
バベルが頷いた。
「そうなのか」
ササハラがバベルに訊く。
「うん」
「なんやねんな」
クロックハンドはアヒル顔になった。

「私は席をはずすので、説明を」
ササハラは踵を返すと外へ出て行った。
「うん、まあ、適当に座って」
ドアが閉まってから、バベルは長椅子を指差した。
「なんなんや?」
クロックハンドは手早く靴を脱ぎ捨てると、長椅子の上であぐらをかいた。

「えーと」
バベルは首をひねりながら、言葉を捜し始めた。
「こちらの彼、ミカヅキ君は、君のことが好きで好きでたまらない」
ミカヅキは黙って視線を落としている。
「その好きっぷりが尋常でないので、親切でおせっかいなササハラ君は、心配になって俺に相談しに来たわけ。"これは本当に恋なのか?他に原因はないのか?"あんまりうるさいんで、俺はミカヅキ君と会ってみた。で、彼の話を聞いているうち、ひとつの可能性に思い当たったので、それを確認するために君をここに連れてきてもらった。OK?」
バベルは滑るように喋る。

「ふ~ん。…ほんで、その可能性てなんやったんや?こいつがおかしいんは病気なんか?」
「病気というと、ちょっと違う。でも、まるっきりはずれでもないかな。説明聞く?長いけど」
「かまへん、聞かせてんか」
クロックハンドは腕を組んだ。
「それじゃまず、結論。彼に熱烈な恋心を芽生えさせちゃったのは、君の目と、波だった」
バベルは目をかっと見開いた後、腕をゆらゆらさせて「波」を表現した。
「なんやて?」
クロックハンドが険しい顔で問い返す。

「細かく説明すると。まず、目。まあもともと人の目には、目っていうか、正しくは視線だね。色んな力があるよ。視線の持つ力については、様々な分野で解明されてるね」
「ほんで?」
「その視線の力が強烈な人は、極端な話、視線で人を呪ったり、殺したり、支配したり出来るね。そこまでいくと、邪眼とか魔眼とか呼ばれたりする。でもそんなのは稀でね、普通は、人を振り向かせる程度」
「あー、わかるわ。見られてるんかな?と思うて振り向く時、あるもんな」
「うん、そういうこと。じゃあその話は置いておいて、波の話にいこう」
「いってんか」
「人は皆、波動とか、波長とか言われるような<波>を必ず持ってる。これは人間関係を築く上で、とても重要なものだ。例えば、初対面の相手でも、大して話してないのに、気に入ることってあるだろう。嫌なことを言われたわけでもないのに、なんだか好きじゃないなって思うこと、あるだろう」
「あ~、あるなあ」
「もちろん仕草や話し方なんかの影響は大きいんだけど、そういう時は心が、相手の持っている波の干渉を受けている場合もある。波が合ってたり、合わなかったりしてるわけ。ちなみに、波の感じ方は、双方向性じゃないので、自分が気に入ったからといって相手もそうとは限らない」
「ほほ~」
クロックハンドは感心したように何度も頷く。本当の話かどうかはわからないが、面白い考え方だと思った。

「で、さっきの目の話と合体。君の視線の力は、やや強いんだよね。多くの人に、なんだか目つきに印象のある人だ、と思われてるだろう」
「そうなんかなあ」
「そう。ほとんどの人は、そんな感じで君の視線を受け止めてる。だけど、相手が君の波と合う人だと、もっと強烈に作用する。その人には、君がとても魅力的に見える。君に見つめられるとドキッとする。時によっては、突然恋をしてしまう」
「…はーん。それがこいつっちゅうわけか?」
クロックハンドはミカヅキを一瞥した。
「そう。彼は、君と目が合った途端、理屈抜きで激しい恋に落ちてしまった」
「難儀な話やなあ。よくあることなんか?」
「まあ、全部じゃないけど、ひと目ぼれの半分くらいはこの手合い。ここまで刷り込まれちゃってる人は初めて見たけど」
バベルは、ふうっと息をついた。

「というわけで、説明終わり。原因が確認できたので、君は帰ってよし」
クロックハンドは数秒アヒルになってから、靴紐を結び始めた。
「ほんでも原因がわかったところで、こいつの極端な思い込みっちゅうかなんちゅうか。なんとか出来るもんなんか?」
「無理。彼が彼で、君が君である限り」
バベルは2人を指差しながら、はっきりと言い切った。
「…なかなかおもろい話やった」
左右の爪先をトン・トン、と順に鳴らすと、クロックハンドは部屋を出て行った。

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