96.満月

今夜の星は、満月の光におされて遠慮がちだ。
それを見上げながら、ヒメマルは、はじめて野宿の不便さを痛感していた。

大量に服を購入したのはいいのだが、置いておく場所がない。
雨が降ったら大変だ。
常時満員御礼の馬小屋に、この山盛りの荷物を持って入るのは絶対無理だし―

-次に天気の悪い日にでも、エコノミーひと部屋とろう。
 それまでは、カイルのとこにでも置かせてもらえばいいや。

ひとり頷いて寝床を作ろうとしゃがんだ時、そう遠くない所で月を仰いでいる男が目に入った。


「あの~、ええと、キャドさん。だよね」
ヒメマルが近づくと、
「ん…?」
数秒間、観察してから、
「ああ、あのパーティの魔術師か。転職したのか」
キャドは懐から煙草を取り出した。

ヒメマルは頷いて、
「ねえ、キャドさん、ベルのセックスフレンドなんでしょ」
と笑顔で言った。
少し眉をあげ、キャドは、
「まあな?」
煙草を咥えた口の端で軽く笑い返した。

「ちょっと…お願いっていうと変なんだけど、聞いてほしいことがあるんだ」
ヒメマルは気さくな調子で続ける。
「なんだ?」
「ベルが嫌がること、しないでくれないかなあ」
「…あン?」
キャドは笑ったままで、口の端をあげた。

「最近ベルの好きじゃないプレイしてるんでしょ。そんなことしないでさあ、楽しませてあげてよ」
「ぁ?」
キャドは大袈裟に相好を崩すと、小さく鼻で笑って、
「そういう要望にはお応えしねえ主義だ、帰んな」
犬を追い払うように、シッシッと手を振った。
「…やぁれやれ」
ヒメマルは大きく腕を広げて、呆れたようなポーズをとった。

「言っておくけどさ、貴方がベルと楽しめるのは今の間だけなんだよ?嫌われることやってないで、少しでもいい時間を過ごした方が有益だよ…って。これって、要望じゃなくてアドバイスなんだけどなあ」
「はぁン?」
キャドが眉を思い切り寄せて、鼻から抜けるような声を出した。
それを受けてヒメマルは馬鹿にするような溜め息をつき、
「ふぅ~、わかってない。これは説明しなきゃいけないかな」
と、頭を振った。

「今、貴方がベルと一緒に寝てられるのは、俺がまだベルに告白せずにいるからだよ。どうして告白しないのかっていうと、それはヤキモチを楽しむ為」
ヒメマルはそう言って胸にあてた長い腕をキャドの方へ伸ばすと、人差し指を突きつけた。
「つまり、俺がべルに好きだよって言ったら、彼はもう貴方になんか見向きもしなくなるってことなんだな」

キャドはしばらく、ぽかんと口を開けていた。

「わかった?」
「…お前が自信家だってことはな」
「ん~っふふん、自信っていうかね。むしろ、確信?」

-…ナルシストってやつかね。

キャドは、ヒメマルを上から下まで眺めた。
確かに背も高いし、スタイルもいい。顔も悪くない。

が、ベルは見てくれでなびくようなタイプではない。
それをわかった上で、こんなことを言っているのだとすれば―

-…夜の方に自信があンのか?

まあ、なんでもいい。

「そんじゃまあ、お前が告白するまでせいぜい楽しませて貰わぁ」
そう流して、キャドは再び月を見上げた。
つられるように顔を上げたヒメマルも、
「気持ちいいね」
目を細めて、静かな光に見入っている。
「…ああ」
答えてから、キャドは今度は全身の嗅覚を使って、ヒメマルを"観察"した。

―ご同輩…ってわけでもねえのか。

人狼の父譲りの鋭い感覚は、ヒメマルから単なる「ヒト」以上の情報を受け取らなかった。
少しズレた感のある言動は、魔物の類に似ているような気もしたのだが、

-ただの変な奴か。

「あのさぁ」
顔を上げたままで、ヒメマルが言った。
「あん?」
「ベルに恋なんてしないことだよ」
「…それもまたアドバイスか?」
「そう。半端なできそこないの貴方なんか、俺が告白するしないにかかわらず、どうせ近いうちに飽きられちゃうもん」
「言うねえ」

キャドは苦笑いと共に煙を吐いた。

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