91.馬車

日中は暑いが、この時間は少し肌寒い。

翌日の早朝イチジョウは、ササハラと目利きの出来るビショップ…バベルと共に、北に向う馬車へと乗りこんだ。
大き目の馬車だが、時間帯もあってか同乗しているのは他に3人ほどである。

「いい加減で得体の知れない男ですが、知識の豊富さは折り紙つきです」
半分眠っている状態で引っ張ってこられたバベルは、そう紹介されても特に反論するでもなく、馬車が動き出してしばらくすると横になってぐっすりと眠ってしまった。

「夜型なんですよ」
軽いイビキをかきながら眠りこけるバベルをなんとなく眺めていたイチジョウに、ササハラが言った。
「お医者さんなんでしょう?」
「昼夜問わず、起きてる時にだけ診療するんです。適当なんです」
「ハーフエルフですか?」
やや尖っている耳を見て、イチジョウが言う。
「違うみたいですよ。夜型の魔物の血でも入ってるのでは、というのがもっぱらの噂です」
「そう言われるとそう見えますね、色も白いですし、雰囲気もそういう感じです」
「でしょう」

良い道を進んでいるのか、静かな振動と轍の音は眠りを誘う。
他の乗客達も、うつらうつらとしはじめている。

「昨日の彼」
轍の音と変わらないぐらいの声の中に、少し笑いを含めてイチジョウが言った。
「いい仲だったんでしょう」
「…」

返事がないまま、数分経った。

「…いい仲 というか」
ササハラは目を閉じて呟いた。
「…良い友人でした。…長い間」

イチジョウは、何も言わずに続きを待っている。

「彼奴からの告白で関係が変わって」
馬車が、少し跳ねた。

「それも少し前に終わった、それだけです。よくある話ですよ」
ササハラがそう締めくくったのに、
「…少し、前」
イチジョウは問い返すふうでもなく、反芻した。

「好きだという点では」
ササハラの声音が、僅かに上がった。
「今でもあの男のことは好きです。とても」

ササハラは「ですが」、と小さく言うと、

「違ったんです」
床を見つめて、そう続けた。

「あなたを初めて見た時に、ソウマへの感情は惚れた腫れたというものではないのだと自覚しました」

イチジョウは、応えない。

「…」
ササハラは体の力を抜くと、小さく溜息をついた。

「最初がああだったので、わかっていただけないかも知れないですが、」
力なく言うササハラの視線の先に、イチジョウの掌が泳いだ。
「信じられないだとか、そういうわけじゃないんですよ」
こちらを向くササハラに笑顔を返しながら、イチジョウは言った。

「ちょっと、光栄すぎるので。どう答えればいいものか、悩みましてねえ」
腕組して、首を捻る。
「…」
ササハラは照れくさそうに笑って、顔を伏せた。
「なにせ、彼はなかなかの色男だったでしょう。気風も良さそうです。あの彼と比べて、私の何が良かったのかと考えましてね」
そう言ってイチジョウが顎に手をあてるのをしばらく眺めていたササハラは、大きく頭を掻くと、決心したようにイチジョウの方へ向き直った。

「誤解しないで聞いていただきたいんですが」
「はい」
「…私は、その」
「はい」
「…」
「なんです?」
「…あの」
「はい」
「…なんというか その…」
「はい」
「…いわゆる…」
「はい」
「…フ」
「?」
「…ファザコンなんです。」

「…はい?」

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