87.包帯
少し早めに起きて街でグローブを買って来たトキオは、隣のティーカップの部屋をノックした。「爪が伸びきるまで毎朝こんなことをする気か?」
ティーカップはテーブルに片肘をついて左手を差し出しながら、大きなあくびをした。
「まあ、しばらくはな。伸びきるまでとは言わなくても、痛まないようになるまではよ」
「別に痛くないぞ」
「剣握ってねえからだよ。それに、こんなんでいつも通りに剣振ったら力入りづらくてすっぽ抜けちまうぞ」
指先にガーゼをたっぷり巻いてクッションにして、それを包帯で包み、更に大きめのグローブを着けさせる。
「どうだ?」
「…小回りがきかなさそうだな」
ティーカップがその手を握ったり開いたりしていると、コツコツと軽くドアがノックされた。
トキオが開けに行くと、見たことのないエルフの男が立っていた。
白い肌に薄い青の瞳、森緑色の長いストレートの髪。エルフらしい端正な顔立ちだ。
体つきからして、頭脳労働系のクラスだろう。
エルフはトキオを見ると、露骨に不快な顔をした。
「ティーカップ…さんは?」
「ああ、いるけど」
トキオは体をずらして、奥のテーブルについているティーカップを見えるようにした。
「入っていいかな」
ティーカップには「さん」づけだが、トキオに対しての口調には明らかな敵意が篭っている。
トキオが「どうぞ」と手振りであらわすと、そのエルフはさっさとティーカップの方へ向かい、何かを手渡すと、トキオを一瞥して出て行った。
「なんだ?」
ドアを閉めながら、トキオが訊く。
ティーカップは手渡された-手紙らしい-に、軽く目を通すと、
「ラブレターだな」
と、こともなげに言った。
「あー…」
道理で睨まれるわけである。
「ほんっとに、お前とパーティ組んだことないってのは幸せだよなぁ」
子供っぽい悪態がつい口をついて、トキオは心の中で自分を馬鹿、と叱咤した。
「そうだな。外見だけでも恋してしまってるのに、その上僕の内面まで知ってしまっては諦めがつかなくなるものな」
その発想にトキオが呆然としていると、ティーカップはベッド脇の籠にその手紙を放りこんだ。
「…ん?」
見れば、籠には何通かの手紙らしいものや宝石、装飾品などが入っている。
「もしかして、全部…貰いもんか?」
「そうだが?」
「…今のエルフから?」
「今の子は初めてだ」
「…」
トキオは、イチジョウが「ティーカップは人気があるのだ」と言っていたことを思い出した。
「お…」
トキオは無意識に声を出していた。
「なんだ?」
「あ、えっと、その、よ。こういう、ラブレターくれたりする相手とよ。つきあったり、しねえのか」
考えたことがなかったが、もしかするともう男がいるかも知れない。
「まだ僕の心を打ったものはないな」
「…そ、そうか」
トキオは安心するのと同時に、もし男がいても今のうちなら諦められたのに-と、根性のないことを考えた。
「…ところでトキオ君」
「う、うん?」
ティーカップはグローブを外すと、包帯だらけでモコモコの指を動かしながら言った。
「僕はまだ朝食を食べてないんだがね?」
*
「こんなもん、かじりつきゃいいじゃねえか」トキオはモーニングのトーストにバターを塗ってやりながらぼやいた。
「そんな下品なことが出来るものか」
「育ちがいいと大変だな」
そういうトキオの語気には、今までのようなトゲトゲした対抗意識はなかった。
仕方ねえな、という素振りだが、少し気の利く人間が見ればまんざらでもないのが丸わかりである。
「…ほれ」
トキオがトーストをほどよい大きさにちぎって差し出すと、ティーカップは当然のように口を開けた。
「…おま、」
てっきり右手で受け取ると思っていたので、トキオは慌てた。
「早くしてくれ、顎が疲れる」
「…たく、よ」
トキオは照れのせいでややぶっきらぼうになりながら、トーストを口に運んでやった。
トーストを味わって、不慣れな右手でハーブティーを一口飲むと、ティーカップはスクランブルエッグを指差した。