35.勿体無い
「悪い虫って」トキオが呟くと、
「トキオ君がティーを好きでなければ、手を出してるって話ですよ」
イチジョウは軽くそんなことを言う。
「っ、別に、好きなわけじゃねえよ」
そう言ったトキオの顔を、イチジョウがじっと見てくる。
「…や、まあ、ちょっとは気になっちゃいる、けどさ」
トキオは「ちょっと」を人差し指を親指で表現してから、膝を抱えた。
「私はちょっと気になったら動きますねえ。トキオ君は慎重派ですか」
「んー…、遊びなら、わりとガンガン動くんだけどさ」
「ティーのことは遊びではなく真剣に気になっている、と」
「ぃやっそそういうわけじゃねえよ!?」
トキオは慌てて手を振った。イチジョウが笑う。
「や、マジな話さ、遊びでも本気でも、合いそうとか合わなさそうとかってのはあるだろ」
「そうですね」
「あいつ、何考えてるかよくわかんないからさ。なんか、気にはなっても、合うって感じがしねえっつうか、あいつが俺に好意持つとこが想像出来ないっつか、そういうの考えてると、自分でもよくわかんなくなってくるみたいな…」
イチジョウはトキオの言い分に頷いて、しかしこう言った。
「でも、ティーはトキオ君のことを気に入ってると思いますよ。ヒメマル君も言ってましたが、周りにいる者にはそう見えます」
「……、だからぁ、」
トキオは少し赤くなって、膝に顎を埋めた。
「そういうこと言わねーでくれよ、意識したくねーんだってば…ややこしい奴だめなんだよ俺、恋愛で悩んだり辛くなったりすんのすっげえ苦手なんだ」
「ああ、なるほど」
イチジョウは得心したようにトキオの姿を眺めながら言った。
「トキオ君は、気持ちがわかりづらい相手は、気になっても諦めてしまうタイプなんですね」
「うっ…」
その言葉がトキオのど真ん中に刺さる。
「、でもさ、誰だって、わかりやすい相手がいいもんじゃねえの」
トキオが言うと、イチジョウは頷いた。
「気が合うとか、価値観が近いというのは大事ですよね」
「だろ!?」
「でも」
イチジョウは顎に手をあて、思案顔で言った。
「よくわからない相手のことを知っていく楽しみ、っていうのもありますよ」
「あ、…」
トキオはパーティに誘われた時のことを思い出した。自分とは違った価値観を持つ人のことを知りたい-そういう好奇心自体はあるのだ。
「うん…」
素直に頷く。
「恋愛で傷つくのは嫌ですか」
イチジョウが優しく続ける。
「すっげえ苦手」
トキオは足元の砂地に指で渦を描いている。
イチジョウはトキオの横顔をびしりと指差した。
「本命に告白したことがないですね?」
「…あたり」
トキオは唇を尖らせて、拗ねるような声で言った。イチジョウが笑む。
「勿体無いな」
「え?」
トキオがイチジョウを見ると、
「悩んだり傷ついたりは本気の恋の醍醐味ですよ。好きだから辛い。悩む。もっと知りたいと思う」
イチジョウは静かに、笑みを湛えて言った。
「そんな恋は、散った後に残るものも、実った時に手にするものも、大きいですよ」
「………」
トキオは目を閉じて、イチジョウの言葉を噛みしめる。
「…そう、なんだろうな…」
イチジョウの言うことはよくわかる。その通りだと思う。思うのだが-
今までずっと、半分遊びだったり、別れたときに傷つかずに済むような付き合いばかり選んできた。本気になりそうな時には離れて逃げるようなことすらあった。
恋愛に関して根っから臆病者のトキオには、よくわからない相手との恋愛に踏み出す勇気はまだ、沸いてこない。
「話がそれてしまいましたね」
イチジョウは立ち上がった。
「ともかく、完全にティーを諦めた時は教えて下さい」
「なんで?」
「襲いに行きますから」
トキオの目が丸くなる。
「俺、ネコ経験ないから、襲うのは勘弁してくれよ」
赤い顔で、困ったように言うと、
「優しくしてやるよ」
イチジョウはまたあの顔になった。